1917 命をかけた伝令(2019年)







DATE

1917/イギリス,アメリカ

監督:サム・メンデス


<主なキャスト>

ウィリアム・スコフィールド:ジョージ・マッケイ
トム・ブレイク:ディーン=チャールズ・チャップマン
スミス大尉:マーク・ストロング
レスリー中尉:アンドリュー・スコット
ジョセフ・ブレイク中尉:リチャード・マッデン
ラウリ:クレア・デュバーク
エリンモア将軍:コリン・ファース
マッケンジー中佐:ベネディクト・カンバーバッチ
サンダース軍曹:ダニエル・メイズ
ヘプバーン少佐:エイドリアン・スカーボロー
リチャーズ中尉:ジェイミー・パーカー
ハットン中尉:マイケル・ジブソン
コリンズ大佐:リチャード・マッケイブ
ブレン一等兵:クリス・ウォーリー
セポイ・ジョンダラー:ナバーン・リズワン
コーネリアス一等兵:マイケル・コーネリアス
クック一等兵:アンソン・ブーン
               ……etc



目次


『1917 命をかけた伝令(2019年)』の作品解説

キーワード『第一次世界大戦(1914年~1918年)』

『1917 命をかけた伝令(2019年)』のストーリー

『1917 命をかけた伝令(2019年)』の感想

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【作品解説】

 日本では2020年2月に劇場公開されたアメリカ、イギリス合作の戦争映画。第一次世界大戦の戦場を舞台に、通信手段が断たれた中、前線で戦っている1600名の将兵を救うべく危険の中駆け抜けた兵士の物語。全編ワンカットに見える撮影・編集で兵士の姿を追いつつ、圧倒的な臨場感で描いている。批評家からも高く評価され、92回アカデミー賞では撮影賞など三冠を獲得した。

 舞台となっているのは第一次世界大戦の西部戦線で、1917年2月から3月にかけて行われたドイツ軍の撤退作戦「アルベリヒ作戦」の戦場。主役などは架空の人物とみられているが、サム・メンデス監督が第一次世界大戦にも従軍した祖父から聞いたエピソードが多数含まれているという。





【第一次世界大戦(1914年~1918年)】

 1914年6月28日。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公とその妻ゾフィー・ホテクが、ボスニアの首都サラエボを訪問中にユーゴスラヴィア民族主義者の19歳のボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって射殺される事件が発生した(サラエボ事件)。当時のボスニアはオーストリア=ハンガリー帝国に併合されていた。そのことに不満を持っていた民族主義者たちは、大公夫妻が軍隊を閲兵するためにサラエボに来たことを知り暗殺を企てた。当日、爆弾や狙撃によって暗殺を果たそうとしたが失敗に終わる。式典を終えた大公らを乗せたオープンカーが、ルートを間違え止まったのはプリンツィプの目の前だった。大公夫妻を殺害するのに成功したプリンツィプは毒物で自殺をしようとしたが不良品だったため効果がなく、拳銃で自殺を図るが引き金を引く前に群衆に取り押さえられた。暗殺に関与したメンバーは全員逮捕された。プリンツィプは裁判の結果、20歳に満たなかったこともあって死刑は免れたものの、収監中に第一次世界大戦末期の劣悪な刑務所の環境もあって持病が悪化し、大戦の終結を見ることなく1918年4月28日に息を引き取った。彼の行為が結果的に、死者は戦闘員・非戦闘員合わせて1,600万に以上、負傷者2,000万人とも言われる(虐殺行為やスペイン風邪などによるものを含む。)世界大戦に繋がり、セルビア王国の滅亡に繋がったことから、プリンツィプの評価は現在のボスニア・ヘルツゴビナでも評価が分かれているという。

 バルカン半島は13世紀以降のオスマン帝国の進出により、キリスト教とイスラム教の対立や複雑な民族対立といった歴史的な歴史背景を抱えることになった。19世紀にはオスマン帝国が衰退し、オスマン帝国の支配下にあったギリシア人やスラブ人の独立の機運が高まり、解放を求める闘争が起こり一部は自治権を獲得した。しかし、バルカン半島は、オスマン帝国からの独立を目指すバルカン諸民族の解放運動は、ヨーロッパの大国が利用し、オスマン帝国の領土分割を自国有利に働かせようとする大国の利益が激突する場となっていた。ギリシアはギリシア解放戦争(1821年~1829年)の末に独立。クリミア戦争(1853年~1856年)後のパリ条約、ロシア=トルコ戦争(1877年~1878年)後のベルリン条約によってルーマニア、セルビア、モンテネグロが独立を果たし、ブルガリアも自治権を獲得した。ベルリン条約でオーストリア=ハンガリー帝国はボスニア・ヘルツゴヴィナの行政権を手に入れ、イギリス帝国はキプロス島を手に入れた。ロシア帝国は南下して地中海に出る足掛かりとしてブルガリアを手に入れたかったがイギリス帝国やオーストリア=ハンガリー帝国の反対により頓挫した。バルカン半島の情勢は大国の思惑に左右されるもので、独立や自治を獲得した諸民族にとっても制約を課せられた不満の残るものだった。

 1908年、青年トルコ革命によってオスマン帝国の混乱が生じたことに乗じてブルガリアが独立を宣言。オーストリア=ハンガリー帝国はこの独立の動きがボスニア・ヘルツゴヴィナに飛び火するのを怖れて同地を併合する。1912年、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシアがオスマン帝国に対する秘密軍事同盟を、バルカン半島を南下して地中海に出る構想を持つロシア帝国の支援を受けて結成する(バルカン同盟)。第一次バルカン戦争によってオスマン帝国の勢力を撃退したバルカン同盟だったが、その領土の分配をめぐり第二次バルカン戦争が起こり同盟は瓦解する。バルカン半島への膨張政策を進めるオーストリア=ハンガリー帝国、3B政策を押しすすめバルカン半島を抜けて中東へのルートを模索するドイツ帝国、ヨーロッパの領土を残すのに必死なオスマン帝国。大国の思惑が入り混じる中、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる状態になっていた。第一次バルカン戦争で火がついたバルカン問題は、サラエボ事件をきっかけに大きく燃え上がることなる。

 サラエヴォ事件をセルビア人によるものと判断したオーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に最後通牒を突き付けた(7月危機)。7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告をした。1882年以来、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国、イタリア王国は三国同盟を結んでいた。ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国に対抗してロシア帝国とフランス共和国は露仏同盟を結んでいた。イギリス帝国も1904年に英仏協商、1907年に英露協商を結び、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国に対抗する足並みが揃っていき三国協商が成立する。ヨーロッパ各国の複雑な秘密軍事同盟網によって、戦端が連鎖的に開かれ、数週間でヨーロッパの主要な国家が参戦した。ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国を中心とするグループを中央同盟国、ロシア帝国とフランス共和国とイギリス帝国を中心とするグループを協商国とする。イタリア王国は「未回収のイタリア」と呼ばれた地域を巡りオーストリア=ハンガリー帝国と対立していたこともあり、イギリス帝国・フランス共和国とロンドン密約を結び、1915年に協商国側で参戦した。極東の大日本帝国もイギリス帝国と日英同盟を結んでおり、さらに中国の山東半島や太平洋でもドイツ帝国の権益や領土に関心を持っており、協商国側で参戦したことで大戦はヨーロッパを離れてアジアにも戦禍が広がることになった。中華民国も中華民国領内でのドイツの権益を回収するために1917年に直接前線に軍を送らなかったものの参戦を表明した。ドイツ帝国と密接な関係にあったオスマン帝国も、中央同盟国の側に立って参戦した。連合国(協商国)陣営が27ヶ国、中央同盟国陣営が4ヶ国、影響を受けた国を含めると50ヵ国が大戦に関わったという。

 オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに圧力をかけたことでロシア帝国は7月24日から25日に一部動員令を出し、戦争勃発後の30日には総動員を命じた。ドイツ帝国はロシア帝国に最後通牒を突き付けた後、8月1日にロシア帝国に宣戦布告した。ドイツ帝国に対して数的不利があったロシア帝国は、フランス共和国に参戦を要請し、それに応じたフランス共和国は8月1日に総動員を開始した。3日にドイツ帝国は宣戦を布告。ドイツ帝国はフランス侵攻作戦(シュリーフェン・プラン)に基づき、ベルギー・ルクセンブルグへの侵攻を開始。中立のベルギーを進行したことで4日にイギリス帝国がドイツ帝国に宣戦を布告した。大日本帝国も日英同盟に基づき23日にドイツ帝国に宣戦を布告した。ドイツ帝国は国の西と東に戦線を抱えることになった。短期決戦を考えていたドイツ帝国はロシア帝国が戦争体制を整える前に西のフランス共和国を降伏させ、東のロシア帝国を叩く計画だった。しかし、9月6日から12日にかけてフランス・パリ近郊のマルヌ河畔でドイツ軍をフランス軍が食い止めたマルタ会戦によって戦争は短期決戦から長期戦の様相を示すことになった。ドイツ帝国とフランス共和国国境に形成された西部戦線は互いに塹壕を掘って対峙しあい1917年までほとんど戦線が動かない陰惨な消耗戦となった。

 ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国の東に形成された東部戦線では、ロシア軍がオーストリア=ハンガリー帝国を相手に戦況を優位に進めていた。ロシア軍はドイツ領内東プロイセンへ進撃するが、ドイツ軍はタンネンベルクの戦い(1914年8月17日~9月2日)と第一次マズーリ湖攻勢(1914年9月9日~9月14日)でロシア軍に大勝し、東部戦線を後退させた。1914年11月にオスマン帝国が中央同盟国として参戦。広範囲にわたる中東戦線が展開されることになった。戦いは最初の世界大戦と呼ばれるほど多くの国が参戦し、投入された軍人は7,000万人と言われる大規模な動員が行われ、戦線は広範囲にわたった。戦いは国家を上げた総力戦となり飛行機、潜水艦、戦車、毒ガスといった新兵器が次々と戦場に投入された。犠牲にされ続ける国民生活に、各国の厭戦機運を高めていった。戦争の転機となったのは1917年のアメリカ合衆国の参戦とロシア革命であった。1917年4月のアメリカ合衆国の参戦によって西部戦線での連合国側の戦力的優位が確固としたものになった。

 1917年3月のロシア革命(2月革命)によってロシア帝国の皇帝ニコライ2世が退位してロマノフ朝が滅亡した。1917年11月にロシアの臨時政府がレーニンが率いるウラジーミル・レーニンが指導するボリシェヴィキによって倒されると、ロシアは1918年3月に中央同盟国とブレスト=リトフスク条約を結び、一足先に第一次世界大戦から離脱した。1917年10月にイタリア戦線で大攻勢をかけたオーストリア=ハンガリー帝国だったが、イギリス軍・フランス軍の援軍が加わり、4月にアメリカ合衆国が参戦したことで連合国は押し返し、敗北が決定的となった。1918年10月から12月頃にかけてオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった諸民族が一斉に独立を宣言し、収拾がつかなくなったオーストリア=ハンガリー帝国は11月に連合国と停戦協定を結んだ。その数日後に皇帝カール1世は退位し、スイスに亡命し、オーストリア=ハンガリー帝国は終わりを迎えた。1915年2月から1916年1月の連合国軍による首都コンスタンティノーブル占領を目指しての大規模上陸作戦を退けたオスマン帝国だったが、兵器の近代化の遅れや物量の不足などによって各地で敗北を重ねていたオスマン帝国は1918年10月末に秘密交渉によって連合国に降伏した。オスマン帝国は第一次大戦後のトルコ革命によって1923年にトルコ共和国が発足し、帝政は終わった。

 ロシアとの講和によって東部方面の軍団を西部方面に回せるようになったドイツ軍は、アメリカ合衆国の参戦による兵力増強が致命傷になる前に攻勢をかけて休戦を勝ち取ろうと考えた。3月よりドイツ軍の最後の攻勢攻勢である春季大攻勢(カイザー戦)が始まった。当初はドイツ軍が優勢を勝ち取り、パリまで120㎞以内に迫った。しかし、補給の欠乏・消耗によってドイツ軍の進撃は止まった。イギリス軍・フランス軍は指揮系統の統一に同意した。戦線は再構築され、ドイツ軍が意図していた突破は叶わず、戦いは再び消耗戦の様相を呈することになった。連合国軍は8月、百日攻勢でドイツ軍を押し返した。1918年11月にドイツ帝国でも無謀な作戦命令を拒否した海軍水兵の反乱が勃発し、それを端緒に各地で兵士や民衆による蜂起に繋がった。皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに亡命して、ドイツの帝政は終わった(ドイツ革命)。ドイツの臨時政府は同月に連合国と休戦協定を結んだ。

 戦争の長期化により各地で革命が勃発し、終戦の前後でドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が崩壊した。これによって新たに国境線が引き直され、新たに複数の民族が独立を果たした。また1922年にロシアはウクライナ、ザカフカース、ベラルーシとともにソビエト社会主義共和国連邦を成立させた。1919年1月に第一次世界大戦の講和会議がパリで始まった。参加したのは戦勝国27ヶ国で、ロシアは不参加だった。第一次世界大戦後も各地で武装蜂起や革命、対外戦争が起こり、アジアでも民族運動の機運が盛り上がっており、緊張の中での講和会議であった。アメリカ合衆国の全権代表として参加したウィルソンは「十四か条の平和原則」を、アメリカの中心的な主張として掲げ、講和会議では国際協調・民族自決などの原則が重視された。しかし、アメリカの主張は戦勝国が第一次世界大戦中に結んだ条約や協定の多くを無効にするものでもあり具体的内容の多くはイギリス帝国、フランス共和国などには無視され、ドイツに対する報復の面が強く表れた。パリ講和会議の末に1916年6月に結ばれたヴェルサイユ条約では、ドイツは多額の――天文学的な金額の賠償金の支払い義務を負うことになり、海外の勢力圏を全て失い、本国の領土も一割以上を失うことになった。他の敗戦国の領土も多くが削られた。ヴェルサイユ条約では国際的な平和維持機構として国際連盟の設立が決められたがアメリカ合衆国の不参加や強制力の無さなどもあり、後の第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできなかった。



【ストーリー】

 1917年4月のある日。ヨーロッパは第一次世界大戦の只中にあった。西部戦線は膠着状態にあり、塹壕の中で兵士たちは終わりのしれない戦いの日々を過ごしていた。イギリス軍の若い兵士、トム・ブレイク上等兵は、上官から一人連れてエリンモア将軍の所に行くように命じられた。横でうたた寝をしていた同僚のウィリアム・スコフィールド上等兵を起こして、二人はエリンモアの所へ行く。エリンモアは、二人に前線にいる部隊に伝令を伝えるように命じた。つい先日まで対峙していたドイツ軍は退却しており、マッケンジー大佐が率いる第二大隊がドイツ軍へ翌朝攻撃する作戦を立てていた。ところが、ドイツ軍の退却は罠で、陣を築いて待ち構えていることが航空偵察から分かったという。しかし、通信線は戦闘の中で切れており、直接行って攻撃中止の命令を伝えるよりなかった。第二大隊にはブレイク上等兵の兄ジョセフが所属していた。

 第二大隊の所に向かうには先日までドイツ軍が占拠していた土地を通らなければならなかった。スコフィールドは敵に察知されないように日が暮れてから向かおうとブレイクに言うが、兄の命がかかっているブレイクは聞く耳を持たない。陣の最前線から有刺鉄線を張り巡らせたバリケードを抜け、ドイツ軍が掘った塹壕へたどり着く。そこには兵士の姿はなかったが、人が生活していた痕跡が残っていた。しかし、ドイツ軍が残していった爆弾のトラップに引っかかり爆発させてしまう。スコフィールドは崩れた瓦礫に埋まり、ブレイクが引きずり出す。塹壕の中のトンネルは崩壊し始め、二人は命からがら脱出する。目を洗い喉を潤して水筒の水を使い切ってしまったスコフィールドは、「なぜ自分を選んだのか」とブレイクに文句を言う。ブレイクは、「こんな任務だとは思わなかった。帰りたいなら帰れ」と言うがその顔は不安の色が浮かんでいた。さらに進むと荒れ果てた家屋があった。人の姿はなく、一頭の牛が取り残されていた。バケツの中には新鮮なミルクが残っていた。

 スコフィールドは航空機の音に気付いた。上空でイギリス軍とドイツ軍の戦闘機が戦っており、ドイツ軍の戦闘機が墜落してきた。燃える戦闘機から操縦席のドイツ兵を救出した二人だったが、大怪我を負ったドイツ兵は隠し持っていたナイフでブレイクの腹を刺した。ドイツ兵を射殺したスコフィールドは、すぐにブレイクに駆け寄るが傷は致命傷だった。必死で声をかけるスコフィールドだったが、ブレイクは後のことをスコフィールドに託して息を引き取った。そこへ墜落の煙を見たスミス大尉の率いるイギリス軍の部隊がスコフィールドを見つけた。事情を聞いたスミス大尉は、スコフィールドを近くまでトラックに乗せることにする。しかし、途中の橋が落とされていたために部隊は迂回することになり、スコフィールドは単独で川を渡って先を進むことにしたが、崩れた橋を乗り越えている途中で銃撃を受ける。応戦しながら敵兵の潜む建物に逃げ込み、敵兵を射殺するが、スコフィールドも銃弾を浴びて気絶してしまう。

 目を覚ますと日が暮れて夜になっていた。廃墟と化した町の中で建物が燃え上がっていた。そこでもドイツ兵に遭遇した。逃げ込んだ建物の中で、ドイツ兵から隠れている住民の女性と出会う。女性から傷の手当てを受けていると赤ん坊の鳴き声がした。彼女の子ではなく、誰の子か分からないという。スコフィールドは彼女に持っていた全ての食料とミルクを渡す。夜が明けようとしていた。明るくなったら危険だと制止する女性の言葉を振り切ってスコフィールドは表に出る。警戒しながら進むもドイツ兵と遭遇。敵兵を殺して駆け出したスコフィールドをドイツ兵が銃撃しながら追撃してくる。スコフィールドは川の中に飛び込んだ。川を流れ、辿り着いた先には多くの死体が浮いていた。森の中に入り彷徨っていると円を組んで歌っているイギリス兵の一団に遭遇する。彼らこそが探し求めていた第二大隊だった。何としても攻撃をやめさせなければ。もはや疲労困憊のスコフィールドだが、指揮を執るマッケンジー大佐は前線にいると知り、大将からの命令書を渡すために兵士たちを押しのけて進み始めた……。



【感想】

 第一次世界大戦の西部戦線のある一人の兵士の、ある一日を描いた作品。この作品の最大の特徴である全編ワンカットで撮影されたかのような映像が臨場感を感じさせ、観客はスコフィールドとともにどこに敵兵がいるか分からない戦場を駆けているかのような没入感を味わえる。主演の俳優は長回しの緊迫したシーンが続き、表情の変化や感情が切迫したものに変わっていく様がカメラを通してすぐ側で見ている視聴者にもダイレクトに伝わる、体力と繊細さが要求される大変な難役だったと思うが、見事にこなしていたと思う。

 ただ、この映画の特徴であるカメラワークが、ゲーム感覚の視点にも感じられる。ダンジョンを探索し、敵から逃れ、時には射殺し、一つのステージをクリアしたら次のステージへ。某TPS的なアドベンチャーゲームの紹介みたいな書き方だが、舞台となるのは第一次世界大戦。兵士の命が使い捨てだった狂った世界。そこには爽快感はない。全部爆破してハッピーエンドはない。スコフィールドの伝令の結果救われた兵士も、次の戦いの命を落とすのかもしれない。任務遂行の末に残るのは虚しさだけ。色々突っ込みたいところはあったが、戦争の虚しさはしっかり伝わってくる。



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