THE CALL OF THE WILD/アメリカ
監督:クリス・サンダース
原作:ジャック・ロンドン『野性の呼び声』(深町眞理子(翻訳)/光文社古典新訳文庫)
<主なキャスト>
ジョン・ソーントン:ハリソン・フォード
ペロー:オマール・シー
ハル:ダン・スティーヴンス
マーセデス:カレン・ギラン
ミラー判事:ブラッドリー・ウィットフォード
チャールズ:コリン・ウッデル
フランソワーズ:カーラ・ジー
ドーソン:スコット・マクドナルド
……etc
キーワード『野性の呼び声(The Call of the Wild)』
日本では2020年2月に劇場公開されたアメリカ映画。これまで幾度となく映像化されてきたジャック・ロンドンの古典的冒険小説を実写映画化。何不自由ない上流階級のペットだった大型犬のバックが、誘拐されて北の地に送られ、過酷な環境の中で生き延びながら内なる野性に目覚めていく姿を最新のCGを使って生き生きと描いている。
「The Call of the Wild」は1903年にアメリカの作家、ジャック・ロンドン(1876年~1916年)によって書かれた中編小説。日本では「野性の呼び声」や「荒野の呼び声」の邦題で知られている。1899年頃から職業作家としての活動を始めていたジャック・ロンドンの出世作であり代表作である。1890年代にアメリカ文学界で盛り上がりを見せた自然主義文学の代表作とも目されている。出版された直後から人気を博し、日本を含めて各国の言語に翻訳され、現在では最もよく知られるアメリカ文学の一つとなっている。日本では大正時代に堺利彦によって最初の翻訳がなされた。映像化も1908年に初めての映画化がなされた(ただし、内容はジャック・ロンドンの「The Call of the Wild」とは全く異なるものであったようだが。)後、幾度か映像化されている。
舞台となっているアメリカ合衆国アラスカ州の西のカナダのユーコン地区では、19世紀末にクロンダイク・ゴールドラッシュと呼ばれるゴールドラッシュが起き、一獲千金を狙う人々が大挙して押し寄せた。ユーコン地区はこの人口流入によってユーコン準州に格上げされた。1899年にアメリカ合衆国アラスカ州ノームで新たな金鉱が見つかると、金を求める人々の関心はそちらに移り、クロンダイク・ゴールドラッシュは終わりを迎えた。「The Call of the Wild」の内容は、一頭の犬の物語。南の地で何不自由ない飼い犬として生たバックが、誘拐されて北の地でソリ犬として生きることとなり、他の犬との関りや極寒の地で生き抜く術を身に着ける。飼い主が変わりながら、野性を取り戻していったバックは、最後の飼い主との別れの後、うわべの文明を捨てて狼の群れに合流し、自然へと帰っていく。ジャック・ロンドンはアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコの出身であった。1897年にクロンダイク・ゴールドラッシュの只中のアラスカ州やユーコン準州で合計1年程度滞在した。急病によりカリフォルニア州に戻ったが、その時の経験が「The Call of the Wild」の発想に繋がったという。
1990年代の北米。北の地ではゴールドラッシュに沸いている時代。カナダのユーコン準州では、犬ぞりに使う大型犬が高値で取引されていた。そんな喧騒とは縁のない南のカリフォルニア州。ミラー判事の飼い犬バックは、活発……というより興味の赴くままに大暴走するやんちゃな大型犬である。飼い主のミラー判事の誕生日に用意されたご馳走に興奮したバックは、誕生会を台無しにしてしまう。飼い主も呆れ果て、仕置きのために外に締め出してしまう。そんなバックを、犬の売人が狙っていた。売人に誘い出されたバックは箱に入れられ、売り飛ばされてしまう。箱から出た時、バックは見知らぬ場所にいた。逃げようとしたバックを赤い服の男が遮る。逆らおうとしたバックは棍棒で打ち据えられ、棍棒を持った人間には勝てないという教訓を得る。それでも鎖を引きずりさらに逃げようとしたバックは、外に飛び出し、ここが船の上で、氷河の上を進んでいることを知った。
首輪をされたバックは極寒の地に降りた。生まれて見る雪にはしゃぎまわるバックは通りがかった男――ソーントンとぶつかる。ソーントンはハーモニカを落としたが気付かずに去って行ってしまったのでバックが咥えてソーントンに届けた。これがバックとソーントンとの最初の出会いだった。バックは郵便配達の犬ぞりの犬としてペローという男に買われた。ペローと相方のフランスワーズは、犬ぞりで港町からドーソン・シティまで郵便物を届ける仕事をしていた。ペローは一度も時間に間に合ったことがなかった。犬ぞりのリーダーのスピッツは気性が荒くプライドの高い犬だった。今まで飼い犬として自由に生きてきたバックは、ハーネスで繋がれ他の犬に合わせて走ることも、寒い夜に雪の中で眠ることも難しかった。南国育ちの犬には厳しい環境だったが、バックは犬ぞりを引く犬として生きていく術や雪の中で生きていく術を身に着けていく。犬たちからも一目置かれるようになり、ドーソンに向かう途中で川に張った氷が割れて命の危機に陥ったフランソワーズを助けたバックは、人間たちとの絆も深める。面白くないのはスピッツだった。スピッツはバックに襲い掛かる。バックは劣勢の中、黒い狼の存在を傍に感じた。その存在に力を得たバックは奮い立ち、スピッツを押さえつけ、勝利する。スピッツは姿を消した。ペローは別の犬にリーダーを任せようとしたがバックが譲らなかったので仕方なくバックをリーダーに据える。バックは犬たちを率いて雪崩も回避し、時間内に郵便を届けるのに成功した。
次の届け先に出発しようとした犬ぞりの前にソーントンが手紙を持ってやってきた。フランスワーズはもう受け付けは終わったと断るが、バックが顔を出してソーントンの手紙を咥えてしまう。ソーントンはバックのことを覚えていた。それからはバックの郵便配達は町の人気者になった。仲間たちの先頭に立って犬ぞりを引くバック。しかし、それは唐突に終わる。この町にも電報が導入されることになり、犬ぞりによる郵送便が廃止されるという指示がペローのところに届く。ペローはバック達を手放すよりなかった。次のバック達の飼い主はハルという一獲千金を狙ってやってきた男とその姉のマーセダスとその夫だった。ハルたちは犬ぞりの知識もなく、冬から春に変わるこの時期の雪原の危険性も知らなかった。そりが凍り付いていることにも気付かず犬たちがさぼっていると棍棒を取り出したハル。そこに居合わせたソーントンが見かねて助けに入る。ハルに今は危険だと忠告するソーントンの言葉を一顧だにもせず、ハルたちは出立する。どうにも気になるソーントンは後を追う。今にも割れそうな氷の上を進めと命じるハルと、危険を察知して動かないバック。バックはすでに身動きできないほど疲弊していた。ソーントンはバックを助け出す。
ソーントンの家で目覚めたバック。バックが気を失っている間に犬たちはそりを引き、危険な川を渡っていた。ソーントンは息子を亡くした悲しみから逃れるために、辺鄙な田舎で孤独な生活を送っていた。バックはその辛さが分かるかのようにソーントンに寄り添う。バックと一緒に暮らすようになってソーントンも生きる気力を取り戻していった。そして息子の夢であった未開の地への探検の旅を決意した。それは主人と飼い犬ではなく、対等な友人同士の楽しい旅だった。未開拓の自然が広がる地に辿り着き、無人の小屋を見つけそこを拠点にする。川では金が採れた。バックは森の中で狼に出会い友好を深めていく。ソーントンもバックが新しい仲間ができたことに気付いていた。それでも必ず自分のところに帰ってくるバックのために、ソーントンは寂しい気持ちを押さえて立ち去ることを決意した。そんなバックとソーントンを追ってきた人影があった。以前のバックの飼い主だったハルは、犬たちに逃げられ、全てを失い、ソーントンとバックを逆恨みして追ってきていたのだった。
人間と犬は長い時間をかけて共生してきた「最も古い友人」などと言われることがある。同時に、犬と犬の源流である狼とは生物学的にとても近く、交配して繁殖能力のある子を作ることができる。そんな不思議な「友人」を、CGで描いたこの映画。当初は少々オーバーで人間臭いバックの“演技”に辟易してしまうが、しばらくすると見慣れてきたのか躍動感と愛嬌のある演技に見えてくるから不思議。こうやってCGに慣らされていくのかなぁと苦々しくも思う。ただ個人的に昔の映画のようにいい映画を撮る為なら動物虐待にしか思えないようなことをしても構わないという姿勢は受け入れられないし、そもそも映画の良し悪しは実際の動物を使うかCGかなどで決まるものではない、などと思っているので、動物の全てをCGで描いた今作のような姿勢はむしろ歓迎するべきことと思っている。。もっとも、造詣のリアルさと挙動の非リアルからくるアンバランスは受け入れられない人には受け入れられないんだろうなぁ、とも思う。
本作は原作に対して比較的忠実に描かれた作品だったと思う。人間たちに振り回される犬たちだが、時代に振り回される人間たちの悲哀も描かれている。犬の姿を通して人生とは、生きるとは何かを描いた壮大な物語だったように思う。しかし、描き方は原作に比べてマイルドな感じ。スピッツは犬ぞりから去っていくにとどめているし、ハルの命令で川を渡った犬ぞりたちは台詞の中で全員が逃げたと語られるにとどめ、バックが人を殺す場面でも自分の牙や爪で殺す様なことはさせなかった。バックが殺したのも自分たちを逆恨みした一獲千金を狙う愚か者だった。原作が書かれた20世紀初頭と今とは違うので一概には言えないと思うが、バックがずいぶん健気というか良い子に描かれていて、原作小説の野性味というかずる賢さく生きていく姿が失われたように感じる。