EMPEROR/日本,アメリカ
監督:ピーター・ウェーバー
原作:岡本嗣郎『終戦のエンペラー 陛下をお救いなさいまし』(集英社文庫)
<主なキャスト>
フェラーズ准将:マシュー・フォックス
マッカーサー元帥:トミー・リー・ジョーンズ
アヤ:初音映莉子
鹿島大将:西田敏行
高橋:羽田昌義
東條英機:火野正平
近衛文麿:中村雅俊
関屋貞三郎:夏八木勲
鹿島の妻:桃井かおり
木戸幸一:伊武雅刀
昭和天皇:片岡孝太郎
リクター少将:コリン・モイ
……etc
キーワード『昭和天皇とマッカーサー総司令官の会見(1945年)』
日本では2013年7月に劇場公開された日米合作の歴史映画。1945年9月、太平洋戦争が終結し、敗戦によって連合軍による占領下に置かれた日本を舞台に、時の天皇陛下(昭和天皇)が戦犯として裁かれるのをいかに回避したのかを、マッカーサー連合国軍最高司令官の側近であり、大きく関与したとされるボナー・フェラーズ准将を中心に映画的な脚色を加えながら描く。商業作品としては初めて皇居敷地内での撮影が許可された作品だった。
第二次世界大戦は昭和20年(1945年)9月2日にミズーリ号の甲板上で、日本と連合国の間で降伏文書の調印がなされた。これによって、第二次世界大戦は終結した。日本は、アメリカを中心とした連合国軍の占領下におかれることとなった。占領政策の最高意思決定機関として、ワシントンにアメリカ、イギリス、ソ連、中華民国など11か国から成る極東委員会が設置された。東京に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が置かれた。連合国軍最高司令官に任ぜられたダグラス・マッカーサー元帥には、全権とも言える巨大な権限が与えられた。当初はアメリカ、イギリス、ソ連、中華民国による分割統治の案もあったが、すでにアメリアとソ連の間にはイデオロギーの対立が始まっており、中華民国は戦争終結後に国共内戦が始まっており日本の占領政策に影響力を及ぼせなかった。
アメリカによる日本の占領政策は当初は軍政を敷く予定だったが、日本の統治機構は残っているという日本の外相・重光葵らの抗議によって撤回され、日本政府を介してのものとなった。GHQは戦後処理と日本の民主化に向けた新たな体制づくりに着手した。戦後処理の手始めに日本の戦争指導者や戦争犯罪者の裁判(極東国際軍事裁判)に着手。9月11日に戦犯容疑者の逮捕命令が出された。8月17日に戦後処理のために第43代内閣総理大臣に就任した東久邇宮稔彦王や国務大臣、天皇陛下(昭和天皇)の側近らは、天皇陛下の戦争責任を回避しするために弁明を続け、開戦責任を時の総理大臣・東条英機に全て押し付ける考えだった。アメリカ本国やアメリカの世論は、昭和天皇を戦犯として裁く方向で盛り上がっていた。GHQは占領政策を円滑に進めるためマッカーサー総司令官を日本の統治者として知らしめる目的で、劇的な出来事が必要と考えていた。昭和天皇との会見はその象徴となると考えていた。
昭和天皇もマッカーサー総司令官との会見を望んでいた。マッカーサー総司令官は占領軍であるGHQが天皇陛下を呼びつけるのは日本の国民感情を悪くすると考えていた。そのため、日本側から会見の申し出があった時は、マッカーサー総司令官含めGHQ側は安堵し歓喜したともいう。9月27日、駐日アメリカ大使館に大日本帝国憲法下の「統治権の総攬者」である昭和天皇が行幸した。会見には通訳のみが同席した。この会見で語られた内容は、昭和天皇は「男の約束」と生涯語らなかった。マッカーサー総司令官は後に回顧録の中で、昭和天皇が「私は、国民が戦争遂行にあたって行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるため、お訪ねした。」と言ったという。その上で、皇室の全財産を担保に、国民の衣食住の保証を求めたと言う。会見は15分の予定が35分かけて行われた。命乞いをしに来たと思っていたマッカーサー総司令官も昭和天皇の態度に敬意を示したという。マッカーサー総司令官は、昭和天皇が帰る際は車まで同行し、見送ったと伝えられる。
この会見を経てマッカーサー総司令官は、日本の円滑な占領統治には天皇の権威が必要という認識を新たにした。会見の翌々日の29日にマーカーサー総司令官と昭和天皇が並んで撮影された写真が公開された。略装のマッカーサー総司令官と、モーニングをしっかり着込んだ昭和天皇が対照的に写された写真は、国民にも大きな衝撃を与えた。翌年1月1日に昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」を発した。後半の内容から、俗に人間宣言とも呼ばれている。1月25日にマッカーサー総司令官はアメリカ陸軍のアイゼンハワー参謀総長に電報を送り、昭和天皇を起訴することで起こるであろう日本国民の反発や、そのための占領軍の増強の必要性などを伝え、昭和天皇の訴追を行わないようにと進言した。連合国の中でも、正式に昭和天皇の基礎を訴えたのはオーストラリアのみであったという。4月29日に、いわゆるA級戦犯28人が正式に起訴されたが、その中に昭和天皇の名はなく、戦犯として法廷で裁かれることは無くなった。昭和天皇とマッカーサー総司令官の会見が、昭和天皇の不起訴にどう繋がったのかはその評価は定まっていないと言うが、その後も昭和天皇とマッカーサー総司令官の交流は続き、1951年(昭和26年)4月16日にマッカーサー元帥(連合国軍最高司令官等の役職は4月11日に解任)が日本を離れるまで、第1回を含めて11回の会見が行われた。
1945年8月30日。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥が日本の地を踏んだ。連合国――メインはアメリカ軍による日本の占領統治が始まった。マッカーサーの側近に、フェラーズ准将の姿があった。彼は日本に滞在していた時期があり日本の文化にも関心がある日本通だった。GHQは戦後処理に着手する。日本の戦争指導者を逮捕し、戦争犯罪者として裁くのである。時の政府指導者などの逮捕の指示が出たその夜、開戦当時の内閣総理大臣・東条英機を逮捕するためにMP(ミリタリーポリス,憲兵)を差し向けられた。しかし、東条は自身の左胸を撃ち抜いて昏睡状態となっていた。
マッカーサーは、天皇の訴追に頭を悩ませていた。アメリカ本国では天皇を戦争犯罪者として訴追すべきという声が、政府も世論も大勢を占めていた。マッカーサー
は、日本の占領統治は極東における「反共の防波堤」構築の足掛かりと考えていた。さらに、政治家への転身、さらには大統領選への出馬を狙っている。そんな野心を持つマッカーサーにとって日本の占領統治を成功させることは何より重要だった。日本の国民は飢えて、占領軍への反感は強まっている。ここで天皇を逮捕したりしたら日本国民の反発は避けられない。マッカーサーはフェラーズに、開戦の意思決定に天皇がどのように関与したのか、調査するように命じた。調査にかけられる時間は10日間。
フェラーズは高橋という男を通訳に調査を始めた。意識を取り戻した東条英機元首相は黙して語らず、開戦直前に内閣総理大臣だった近衛文麿は御前会議の場にいなかったため正確なことは分からない。やはり、天皇の側近にあたるしかない。木戸幸一内大臣に連絡を取るが、木戸はフェラーズとの約束の場に現れなかった。フェラーズ自身も、開戦前に知り合い好意を持っていた島田あやの安否を気にかけていた。高橋に、あやの捜索を依頼する。高橋が調べた結果、あやがいた東京のアパートは空襲で焼けていた。あやの親戚で陸軍大将の鹿島に連絡を取ってほしいとフェラーズは依頼したが、鹿島がいた静岡も空襲で焼き払われていた。フェラーズはいてもたってもいられずジープで静岡に行くが、情報通り静岡は焼けていた。フェラーズは死亡者リストを手に入れるが怖くて開けない。
フェラーズの本来任務も是非をはっきりさせない日本文化の影響もあって遅々として進まない。マッカーサーも天皇の訴追を考え始め、フェラーズの立場も悪くなっていく。あやの生存が絶望的になったこともフェラーズの苛立ちを募らせた。関屋貞三郎宮内次官に会いに行くが、そこは皇居。警備隊に止められたフェラーズは武力での恫喝を示唆するが、高橋が慌てて取り繕う。関屋からは、開戦決定の御前会議で天皇が日露開戦時の明治天皇の御製(天皇が自らお詠みになった和歌や詩歌)を引用して開戦の反感を示したことという証言が得られる。しかし、そんな「ほのめかし」程度ではアメリカ本国を説得など出来ない。
もはやこれまでと天皇の戦争責任を認める意見書を書こうとしたとき、木戸がフェラーズに会いに来る。木戸は、戦争終わらせるための決断を下したのは天皇であったという事実を語る。しかし、それも記録が残っておらず、物的証拠はない。苦悩するフェラーズは、再び静岡に向かい鹿島大将の家に行く。鹿島大将は生きていた。しかし、同時にあやの死とも向き合うことになる。フェラーズはマッカーサーに、天皇が開戦の意思決定にどこまで関与したか分からないとしつつも、終戦を決定づけたのは天皇であると報告する。物的証拠のない証言の積み重ねのみの報告にマッカーサーは不満に思うが、天皇に興味を持ち面会を希望する。
天皇の戦争責任を扱った作品がハリウッドで制作された、ということにまず驚いた。アメリカ国民のどれだけが天皇の戦争責任などに興味があるのだろうか。実際、アメリカでの興行成績は3億円程度にとどまったそうだ。もっとも、原作も日本で出版された書籍だし、映画プロデューサー芥川保志の原案のもと企画が立てられたそうで、出演している俳優にも日本の名優や有望な若手が出演しており、日本映画のような印象も受けた。実際、日本では最終興収は12億円強とまずまずの成績だったようで、天皇の戦争責任というのは昭和が終わって20年以上が経過していた当時の日本人にとっても興味深いテーマなのかもしれない。
とはいえ、「天皇の戦争責任から目を背けるな!」と声高に叫んでいる作品ではない。東京裁判において天皇が訴追を免れたのが日本占領を円滑に進めるための政治的判断の結果であったのは疑いようはないだろうが、天皇が戦争を主導したという決定的な確証を得られなかったのも事実だろう。この映画の内容自体は目新しい物ではないだろうが、、文化も習慣も考え方も違う上に君主を頂いたことのないアメリカ人が、日本の君主の戦争責任という問いに挑む構成は、娯楽映画としても十分楽しめるものとなっている。