TITANIC/アメリカ
監督:ジェームズ・キャメロン
<主なキャスト>
ジャック・ドーソン:レオナルド・ディカプリオ
ローズ:ケイト・ウィンスレット
カル:ビリー・ゼイン
モリー・ブラウン:キャシー・ベイツ
ルース:フランシス・フィッシャー
ブロック:ビル・パクストン
エドワード・J・スミス船長:バーナード・ヒル
J・ブルース・イスメイ:ジョナサン・ハイド
トーマス・アンドリュース:ヴィクター・ガーバー
スパイサー・ラブジョイ:デヴィッド・ワーナー
現代のローズ・カルバート:グロリア・スチュアート
……etc
日本では1997年12月に劇場公開されたアメリカ映画。1912年に起こった当時世界最大の旅客船が沈没し、当時、海難事故の最大死者を出したタイタニック号沈没事故を舞台に上流階級の娘と新天地で一旗揚げようと心躍らせる画家志望の青年が運命的な出会いを果たし、惹かれていくラブストーリーを絡めて描いたスペクタクル・ロマン。
総製作費2億ドルと当時の映画界最大の巨費を投じて制作された大作映画だった。ほぼ原寸大に再現されたタイタニック号を始めとした美術やCGを駆使し、豪華な絵は圧巻。公開されと全世界で大ヒットを記録し、当時の世界歴代興行収入第1位を記録した。1998年の第70回アカデミー賞では14部門にノミネートされ、作品賞・監督賞など11部門を獲得した。これは、1959年の『ベン・ハー』に並ぶ歴代最多記録。
タイタニック号はイギリスの海運会社ホワイト・スター・ラインが大西洋航路に投入するために建造した豪華客船。全長約270m、約46,000総トンの、当時世界最大級の客船であり、オリンピック級客船の2番艦であった。当時の金額で150万英ポンド(現代の価値で約160億円~440億円)という巨費を投じ、3ヵ年の歳月を費やし、北アイルランドのハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造されたタイタニック号は、1912年3月31日に竣工した。一等・二等・三等の客室の他に、レストラン、豪華なサロン、プール、ジムなどを備えた豪華な旅客船であった。当時の最新技術を取り入れ、船底を二重底にし、船体を16の区画に分けて1つが浸水しても沈まない構造となっていた。当時の人々は――タイタニック号が「不沈艦」と宣伝されていたという説には誇張があるものの――タイタニック号の安全性に、大きな信頼を寄せていた。
同年4月10日の正午過ぎ、イギリスのサウサンプトンを出港し、ニューヨークに向かう処女航海の途についた。フランスのシェルブール、アイルランドのクイーンズタウン(現在のコーブ)で寄港し、新たな乗客を乗せて、北大西洋へと踏み出したのは11日夕方のこと。一等船室には著名な大富豪や紳士淑女も多く乗り込んでいた。また、ホワイト・スター・ラインの経営者であるジョセフ・ブルース・イズメイやハーランド・アンド・ウルフの常務取締役兼設計部門部長でタイタニック号の設計担当者であったトーマス・アンドリューズも処女航海に乗船していた。資料によって異なるが、乗員乗客2200人強の人々がタイタニック号には乗り込んでいた。予定通りにいけば、17日の朝にニューヨーク港に到着するはずであった。
4月14日は朝から好天気でも酷い寒さだったという。北大西洋には氷山・流氷が漂う時期であった。航行していたタイタニック号にも、当該地域を航行する複数の船舶から情報が寄せられていた。エドワード・スミス船長は通常の航路より南に18㎞ずらして航行していた。夜に入り、氷山への警戒はより一層強くなった。しかいし、タイタニック号は22ノットの快速を維持したまま、危険な夜の海を走り続けていた。23時40分、見張り員が前方に巨大な氷山を発見した。見張り員からの連絡を受けて船橋では大きく舵を切って回避行動をとった。しかし、氷山との衝突は避けきれず衝突した。右舷側の船体が氷山に接触し、複数の損傷が生じ、それによって船首側の複数の防水区画に海水が流入した。第1から第4区画までの浸水であればタイタニック号は耐えることができたが、5区画の浸水となると海水は防水癖を超えてさらに浸水被害を拡げていく。休んでいたスミス船長も船橋に姿を現し、トーマス・アンドリューズとともに船内を調べ、絶望的な状況が始まっていることを知った。
船橋に戻ったスミス船長は救命艇をを下ろし、近くを航行している船に無線で救援を求めるように指示を出した。しかし、救命艇は20隻、1200人弱の人間を乗せるだけの数しか積んでいなかった。救命艇を下ろすことなど想定していなかったため、船員はどのボートを対応すればいいのか分からず、操作にも不慣れだった。乗客も避難と言ってもどのボートに行けばいいのか分からなかった。何より、多くの乗客はこの巨大な船が沈むとは思っておらず、小さな救命艇に乗って暗闇の北大西洋に放り出されるよりもタイタニック号に残ったほうが安全と考え、救命艇に乗ることを拒否した者も多くいた。0時45分、最初の救命艇が下ろされた。救命艇に乗るのは「女子供が優先」という当時の慣行も避難結果に大きな影響を与えた。柔軟に男性を乗せて下ろした救命艇もあったが、定員ギリギリまで乗せることなく救命艇を下ろしたケースも多かった。結果、理屈の上では1100人以上は救えたにもかかわらず、タイタニック号沈没事故での生存者は710名にとどまった。また、特に一等・二等・三等の乗客の間では、船内の場所や避難経路などにも違いがあり、階級によって生存率に大きな差が生じることになり、そのことも後の調査で問題とされた。
やがて船体は傾き始め、船首から海中に没していった。乗客たちも、タイタニック号の沈没が免れないことを知った。船員たちは近くを航行している船があることを期待して花火信号を打ち上げ続けた。生存者によって、甲板の上での人々の最後の様子の断片が語られている。乗客たちを勇気づけるために最後の時まで演奏を続けたバンドマンたち。沈みゆく中、一等喫煙室で煙草を吹かして読書しながらその時を待った紳士。「死ぬときは正装で」と夜会服に着替えてその時を待った紳士。愛犬を救命ボートに乗せることを拒否され、愛犬とともに船に残る決断をした夫人。夫人だけなら救命艇に乗れたのに、長年連れ添った夫とともに逝く決断をし、甲板の椅子に並んで座って最期の時を待った熟年の夫婦。わが身を後回しにし船員とともに救命艇に乗せる手伝いをした乗客も多くいた。もちろん、誰もが潔くその時を迎えたわけではない。女装して救命艇に乗り込んだ男もいた。甲板ではパニックになり救命艇に殺到した乗客をけん制するために船員が発砲する場面もあった。闇の中の出来事で正確ではないが、乗客を射殺した船員が自殺したという証言もある。それでも混乱の中、乗員たちは一人でも多くの乗客を救うために最善を尽くした。機関士たちは灯火を絶やさないように石炭を炊き続けた。無電係は救援を求める無電を撃ち続けた。
午前2時20分頃、タイタニック号は最期の時を迎えた。船首から沈んでいき直立して、最終的に船体は二つに分離して沈没した。約315㎞離れたところを航行していた「ヴァージニア号」がタイタニック号からの最後の救援信号を受けたのは午前2時17分だったという。タイタニック号に引きずり込まれて死亡した人も多かったが、氷海に飛び込み生きている人たちも大勢いた。余裕のある救命艇も多かったが、助けを求める人たちが殺到して救難艇が転覆することを怖れてほとんどの救命艇は戻らなかった。氷海で漂っていた人たちは低体温症で程なく命を失った。午前4時10分ごろ「カルパチア号」が現場に到着し、漂っていた救命艇の生存者を収容した。生存者は700名強。約1500名が命を落とした。4月18日夕方、カルパチア号がニューヨーク港に到着し、4万人の群衆や報道が生存者たちを見守った。ホワイト・スター・ラインはカルパチア号がニューヨークに到着する前からチャーター船4隻を現地に送り、300人強の遺体を回収した。100体強の遺体が水槽された。カナダのハリファックスの港などを拠点に改修された遺体は運ばれ、身元の分かる遺体は遺族に帰されたが、分からなかった者は現地で荼毘に付された。現在でもハリファックスにはタイタニック犠牲者の墓が残されている。
タイタニック号の事故調査は事故直後にアメリカとイギリスがそれぞれ大規模な公的調査を行った。アメリカ上院商務委員会の特別小委員会による調査はウィリアム・A・スミス上院議員を委員長に4月19日から始まり5月28日に報告書が出された。イギリスでは商務庁の要請によってチャールズ・ビガム卿が政府の公式調査委員会の委員長を務め5月2日から調査が始まり、7月30日に報告書が出された。タイタニック号は北大西洋の3000mの深海に沈没しているため現物を確認しての調査など出来ず、生存した船員や乗客への証言聴取、無線記録、航海資料、設計図・船舶資料などの文書調査、専門家による検討などによって原因を推定した。イギリスの調査報告では沈没の直接の原因は「氷山との衝突」であり「その衝突は船が過度の速度で航行していたことによって生じた」と結論付けた。事故は、夜の闇の中で速度を落とさずに進行した上、氷山の情報を知りながら見張りの増員などの指示を行わなかったスミス船長個人の判断ミスによるところは大きかったかもしれないが、調査はタイタニック号の沈没の責任を船長個人に押し付けるようなことはしなかった。ある関係者はスミス船長は当時の北大西洋の航行の慣例に従ったに過ぎなかったと証言したという。救命艇を減らしていたホワイト・スター・ラインの責任も、タイタニック号は当時のイギリスの規則に従い、検査でも船が規定を満たしていると認められていた。イギリス商務庁も、タイタニック号沈没事故が当時の大型化する旅客船に対して規則の改定が追い付いていなかった結果として猛省を促されることとなる。
イギリスの調査では、運航会社も造船所も商務庁も法的責任を負わなかった。その為、身内に甘いと指摘された。世論の事故のスケープゴートとしての矛先は、運航会社の経営者でありながら生き残ったジョセフ・ブルース・イズメイや、タイタニック号から数マイルほどの位置にいながら救助に行かなかったカリフォルニア号のロード船長などに向けられた。しかし、イズメイは乗客の一人であり、運航の責任を負う人物ではなかった。カリフォルニア号も無線係が休んでいて無線を受信できなかった、などの理由で事故そのものに気付かなかったものであり、事態を知って現地に急行し遺体の回収のために現地に残った。
この事故をきっかけに、海上での安全規則は大きく変化した。船舶の安全対策や国際的な海上ルールが大きく見直され、特に救命艇の収容能力、無線通信の常時監視、氷山監視などが重視されるようになった。後の国際的な海上安全制度にも影響を与え、1914年には海上人命安全条約(SOLAS)が成立し、船舶の安全基準が国際的に統一されていった。タイタニック号沈没事故は、多くの犠牲を産んだ悲劇だったが、現代の海上安全のシステムを、大きく発展させていく転機となった。
1996年――無人潜水艇によるタイタニック号の船内の探索が行われていた。タイタニック号とともに沈んだと言われるブルー・ダイヤモンドの捜索をしていたのだった。そこで一つの金庫を発見する。その中から出てきたのは古ぼけた紙切れ。丁寧に洗い流すと裸体の女性の絵が浮かび上がってくる。さらに、その女性はブルー・ダイヤモンドを首から下げている。この絵の発見はテレビで放送されたが、それを見て驚く101歳の老婦人がいた。老婦人は調査団に絵のモデルは自分だと電話を掛ける。調査団の船を孫娘とともに訪れた老婦人は自分をローズと名乗り、タイタニック号で何があったか語り始める。、
それは84年前――1912年4月、世界最大級の豪華客船タイタニック号は、イギリスのサウサンプトン港からニューヨークへ向けて処女航海に出発しようとしていた。一等船室には上流階級の娘である17歳のローズ・デウィット・ブケイターが、アメリカ鉄鋼王の息子で婚約者のキャルドリン・ボックリー(キャル)と母・ルース、さらに豪華な絵画などとともに乗り込んでいた。一方、はしゃぎながら乗り込んでくる青年ジャック・ドーソンの姿もある。彼は偶然ポーカーでタイタニック号のチケットを手に入れ、自由の地アメリカで新たな一歩を踏み出そうと友人とともに乗り込んでいた。一等船室の淑女と、三等船室の貧しい若者。同じ船に乗っていても決して交わることのない2人のはずだった。
夜の甲板でローズは耐え切れなくなり夜の海に身を投げようとする。キャルは母親によって半ば強制的に婚約させられた相手で、キャルはローズを自分を飾り立てる宝石のようにしか思っていなかった。豪華な旅客船であるタイタニック号も彼女にとっては奴隷船も同然だった。そこをジャックに助け上げられたローズ。そこで、船員にジャックがローズを襲おうとしていると勘違いされ、ちょっとした騒ぎになるが、ローズがジャックを命の恩人だと説得して事なきを得る。駆けつけたキャルは、みすぼらしいジャックに蔑みの眼を向けるが、婚約者の命の恩人を翌日の夕食会に招待する。
ジャックは絵描きとしてアメリカで大成したいと思っていた。芸術好きのローズはジャックの絵の腕を認め急速に親しくなっていく。しかし、ローズの実家は名門だが父親はすでに死亡しており家は破産寸前で、ローズに選択肢はなかった。ジャックは夕食会に新興成金のマーガレット・ブラウンの息子の礼服を借りて出席する。ジャックの堂々とした態度で自分の人生観を語り、三等船室の貧乏人を笑いものにするつもりだったキャルの見込みは外れた。ジャックはローズを三等船室のパーティーに招待する。庶民たちの賑やかなパーティーで、自分らしい笑顔を見せるローズ。しかし、キャルはジャックとローズに監視の者を付けており、激しい嫉妬とともにローズにジャックとは会わないように厳命する。
一度は自分の立場を考えてキャルの言うままになろうとしたローズだったが、ジャックへ惹かれる気持ちは押さえられなくなっていた。運命の14日の夜――2人はともに過ごし、ジャックはローズの裸体の絵を描き残す。しかし、タイタニック号は巨大な氷山に衝突し、浸水が始まる。キャルたちに捕まったジャックは身に覚えのない宝石泥棒の罪を着せられる。警備室に繋がれたジャック。その間にも浸水は勢いを増していく。パニックになる乗客たち。懸命に救命ボートを下ろす船員たち。そんな中、ローズは取り残されたジャックを助ける為に船内に戻っていく。
管理人が初めてこの映画「タイタニック」を映画館で観た時は、まだ高校生だった。大きく船が沈んでいくシーンは凄い迫力で、映画館の大きなスクリーンで見られたことを観られたのは凄く良かったなぁ、と思う。前半のベタベタだが平和なタイタニック号の様子が描かれ、後半で一気に悲劇に突き進んでいく。タイタニック号の沈没という結果は分かっているとはいえ、ジャックもローズも架空の人物。どういう結果になるのか分からないまま迫りくる沈没やキャルの銃弾から逃げ延びながら生存の道を探そうとする姿はまるでターミネーター2みたいだと感じたが、さすがはジェームズ・キャメロン監督は娯楽映画の押さえどころを知っていると思う。
劇中ではジャックとローズとともに、船の中で懸命に生きようとした人たちが描かれる。あるいは死に際して厳粛にその時を迎えようとしたもの。自分の設計した船が沈むことに「頑丈な船を作れなくて済まなかった」と無念を口にするトーマス・アンドリューズ。このサイトでも多くの悲劇を描いた作品を紹介しているが、死者1500人などと簡単に記してしまう。しかし、そこで死んだ人たちも一人一人の人生があり、無念の気持ちを残して死んでいった人たちなのだと改めて感じさせられる。
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