あなたは 人目の訪問者です。


エリザベス(1998年)





DATE

Elizabeth/イギリス
監督:シェカール・カプール

<主なキャスト>

エリザベス1世 : ケイト・ブランシェット
ロバート・ダドリー : ジョセフ・ファインズ
フランシス・ウォルシンガム : ジェフリー・ラッシュ
ノーフォーク公 : クリストファー・エクルストン
ウィリアム・セシル : リチャード・アッテンボロー
アランデル伯 : エドワード・ハードウィック
メアリ・オブ・ギーズ : ファニー・アルダン
アンジュー公 : ヴァンサン・カッセル
ローマ教皇 : ジョン・ギールグッド
                ……etc

目次
『エリザベス(1998年)』の作品解説
キーワード『エリザベス1世(1533年〜1603年)』
『エリザベス(1998年)』のストーリー
『エリザベス(1998年)』の感想


【作品解説】

 日本では1999年8月に劇場公開されたイギリス映画。イングランドの黄金期を築いた女王・エリザベス1世の前半生を描いた歴史劇。2007年に続編の「エリザベス ゴールデン・エイジ」が制作された。第71回アカデミー賞に作品賞など7部門にノミネートされメイクアップ賞を獲得した。


【エリザベス1世(1533年〜1603年)】

 16世紀――イングランド女王エリザベス1世の母アン・ブーリンは、ヘンリー8世の最初の妻だったキャサリン・オブ・アラゴンの侍女であった。ヘンリー8世とキャサリンの間には娘のメアリー(1516年〜1558年:後のメアリ1世)がいたが男児には恵まれなかった。ヘンリー8世は自身の子供を身ごもったアンと結婚するためにキャサリンとの離婚を望んでいたが、カトリックでは離婚が認められていなかったし、ローマ教皇に結婚の無効を求めようにもキャサリンの甥である神聖ローマ帝国皇帝のカルロス1世との対立を怖れるローマ教皇の協力を得るのは難しかった。そこで、ヘンリー8世は、イングランド国教会を成立させ国王がその首長となりローマ教会から独立させ、イングランド国教会に離婚を認めさせるという手段をとった。時は宗教改革が始まった時代。ローマ=カトリック教会からプロテスタントと呼ばれる教会の権威を否定し聖書を根幹においた純粋な信仰を掲げる宗派が分離し、ローマ教会はそれらのプロテスタントを異端として迫害する時代が2世紀に渡って続くことになる。キャサリンと離婚したヘンリー8世だったが、生まれたアンの子は女児であった。その娘が後のエリザベス1世である。その後、アンはヘンリー8世の寵愛を失い汚名を着せられ処刑された。アンが処刑された当時、エリザベスは3歳になっていなかった。ヘンリー8世はエリザベスを非嫡出子としたが愛情は注いでいた。

 1547年、ヘンリー8世が逝去。跡を継いだのは異母弟のエドワード6世(1537年〜1553年)であった。病弱だったこの異母弟をエリザベスは特に可愛がっていたという。まだ若いエドワード6世にイングランドを統治する能力はなく、叔父のサマセット公が摂政として実権を握るが、その弟のトマス・シーモア男爵がエリザベスにとって災難の種になってしまう。当時、トマス・シーモアはヘンリー8世の元妻のキャサリンと結婚していた。そしてエリザベスもキャサリンとともに暮らしていた。エリザベスはこのトマス・シーモアに好意を持っていた。キャサリンの死後トマス・シーモアはエリザベスとの結婚を希望し、エリザベス自身にもその意志があったらしいとされる。ところが、エリザベスが15歳の頃、トマス・シーモアが兄の権勢をねたみ陰謀を企てたことが発覚しロンドン塔に送られ処刑された。エリザベスもその陰謀に加担したと疑われたエリザベスはサマセット公に自筆で書簡を送って加担を否定し、疑いは晴れた。

 1553年の夏にエドワード6世が15歳でこの世を去ると、イングランドはエリザベスの異母姉のメアリー1世の時代を迎える。メアリー1世と、11歳年下のアストゥリアス公フェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)との結婚の話が持ち上がると、メアリー1世への風向きが大きく変わる。スペインは当時日の沈まぬ大帝国と呼ばれるような隆盛を誇っていた。また、フェリペはカトリックの擁護者を自認する実力者であった。その結婚によってイングランドがスペインに飲み込まれるという不安が国内に広まった。1554年1月から2月にかけてイングランドとウェールズの各地でワイアットの乱と呼ばれるトマス・ワイアットを首謀者とするプロテスタントの信者による反乱が勃発する。しかし、7月にメアリー1世とフェリペの結婚が成立する。

 カトリックであったメアリー1世はイングランド国教会の成立によってプロテスタントが勢いづいていたイングランドを強引にカトリックに戻そうとプロテスタントの信者への迫害を始めた。女子供を含めて300人が処刑されたとも言われ、メアリー1世は「血まみれのメアリー(ブラッディ・メアリー)」などと呼ばれるほどだった。プロテスタントだったエリザベスは、メアリー1世から睨まれることを恐れて表向きカトリックのミサに参加したりしたが、メアリ−1世は警戒していた。ワイアットの乱が鎮圧された後の3月、エリザベスはロンドン塔に収監された。5月にロンドン塔から出たエリザベスは約1年ほど幽閉生活を送った。宮廷内でもエリザベスの処遇を巡り処刑と助命とで様々な動きはあったが、エリザベスを処刑することはできなかった。

 1558年にメアリ1世が死去し、ついにエリザベスが女王に即位した。エリザベスは枢密院という39人(メアリー1世の頃)のメンバーからなる国家の最高意思決定機関の顧問官を19人にまで減らした。その中はニコラス・ベイコンやウィリアム・セシルといったこの後エリザベス1世を支える人材の名もあった。彼らはメアリ−1世世の時代に登用された人物であった。その後も、ウォルシンガムなどの有用な人材を抜擢し、イングランド国教会の確立やフランス・スペインなどの大国を相手に回しての外交におけるバランス感覚など、彼女は統治者として優れた能力を発揮する。それらは、その時々の情勢に翻弄され続けた若い時代に身につけられたものだという指摘もある。

 エリザベス1世の時代はエリザベス朝などとも言われ、政治・経済・文化・外交など優れたリーダーシップを発揮し、イングランドの黄金期とも言われる。当時のイングランドはひどいインフレ状態にあった。救貧法や通貨法の改正で社会の基盤を整え毛織物業の発展に力を注ぎ、大商人へ特許状を出し、スペイン商船を私掠させ国を富ませた。1588年にイングランド侵攻のためにスペインが大艦隊を送り込み、イングランドはこれを撃破するとさらに海に乗り出していった。44年の統治時代の成果はとても大きく、もちろんすべてが成功に終わったわけではなかったが、後の大英帝国の基礎を築いたといっても過言ではない業績を残した。ネーデルランド独立戦争(1568年〜1648年)を公然と支援するなどスペインをはじめとしたヨーロッパの各国と渡り合い、スペインの大使はエリザベス1世をさして、「体に千の悪魔が巣くった女性」と本国に書き送ったという。

 反面、時として気まぐれな行動を起こしたり、感情の赴くままに行動したりすることもままあった。エセックス伯ロバート・デヴェラー(1566年〜1601年)に対する仕打ちはその典型であった。30歳以上も年齢の違う若い貴族に好意を持った女王は、エセックス伯にさまざまな特権を与え、重用した。さらに、数々の命令違反に対しても許してしまい、傲慢だったエセックス伯をさらに増長させ、最後は反乱という行動に駆り立てる結果となった。

 1603年3月。偉大な女王は、体力の衰えから倒れこんだ。死を察知たエリザベス1世は、従者たちに自分を立たせて、15時間も立ったまま死を拒否し続けたという。倒れても寝所に入ることを拒み、用意されたマットの上で4日間死と戦い続けたという。享年70歳。エリザベス1世は生涯独身を貫き子供もいなかったため、処女王などと呼ばれることもある。エリザベス1世にもいくつかのロマンスがあったし、スペイン国王フェリペ2世をはじめ他国の王侯貴族との結婚話が持ち上がったことも幾度かあった。結婚しなかったのは政治的な理由もあったのだろうし、母親を処刑されたという過去が理由でもあったのだろう。エリザベス1世の内心は分からないが、結果、その死によって、テューダー王朝は、幕を下ろした。


【ストーリー】

 16世紀半ばのイングランド。ヘンリー8世がローマ教会と決別し、イングランド国教会を立ち上げたことでカトリックとプロテスタントの宗教対立が深まっていた。イングランドの女王となったメアリー1世はカトリックであり、プロテスタントの信者を火あぶりにするなど苛烈な弾圧を行っていた。まだ若いエリザベスもプロテスタントであり、メアリー1世への反逆の企てに加担したとみなされてロンドン塔に幽閉されることになった。メアリー1世とエリザベスの対立には宗教の対立に起因するものみならず、異母姉妹であるメアリー1世とエリザベスの両親の時代に起こった因縁にも由来していた。メアリー1世はエリザベスを憎悪していたが、もしもエリザベスが次の国王になったらカトリックを擁護してほしいと訴える。しかし、エリザベスは、自分は良心に従うと答え、メアリー1世とは完全に決別することになる。ローマ教会もエリザベスが王位に就くのに難色を示すが、エリザベスの処刑は実行されないままメアリー1世は病気で崩御し、25歳のエリザベスはイングランド女王エリザベス1世として即位する。

 イングランドは宗教対立以外にも軍事的にも経済的にも問題が山積していた。重臣のウィリアム・セシルは結婚を進言する。結婚して有力な後ろ盾と縁戚関係を結んで世継ぎを産まなければ、将来のイングランドの安寧はない。しかし、エリザベスはそれに乗り気にはなれなかった。何よりも、エリザベスにはロバート・ダドリーという若い貴族の恋人がおり、周知の事実となっていた。しかし、イングランドの国情は不安定で、戦争に巻き込まれた。エリザベスは臣下に押し切られて軍を派遣するが敗れてしまう。敵であるスコットランドの施政者メアリ・オブ・ギーズは、進軍をやめる条件としてエリザベスに甥のアンジュー公との結婚を突き付ける。仕方なくそれを受け入れたエリザベスだったが、大陸から帰還したウォルシンガムを重用し、国教会を中心にイングランドの信仰をプロテスタントに統一することを宣言する。ローマ教皇やカトリックの強国がこれを黙認するはずもなかった。イングランドを訪れたアンジュー公を歓迎する場でエリザベス暗殺未遂事件まで起こる。

 イングランドが孤立を深め、重臣たちがアンジュー公との結婚を急かす中、ロバート・ダドリーが妻帯者だったという事実がエリザベスの耳に入る。エリザベスへの嘲笑も入り混じる噂話を耳にしたエリザベスは捨て鉢になりアンジュー公のもとへ向かうが、アンジュー公の不快な趣味を知ってしまい結婚を破棄する。ローマ教会はエリザベスを陥れるために謀略を進める。影となりエリザベスを守るウォルシンガムは、メアリ・オブ・ギーズを暗殺し、イングランド国内のカトリック派の貴族を一気に殲滅にかかる。その中には、ロバート・ダドリーの名もあった。


【感想】

 エリザベス1世が女王として即位する前後を描いた作品。政争や政治的な謀略が渦巻く中、エリザベスが女性としてと女王としての間で葛藤したり苦悩したりする――女王でありながら、恋も治世も信仰もままならない、一人の女性として描かれている。ラストでエリザベスは苦悩の末に女王として生きる決意をする。その姿は「イングランドの未来を支える決意をした女王」にも見えたし、「自分の未来の全てを諦めた女性」にも見えた。女王の孤独を丁寧に描いた良作だった。

 王権と国家が同義だった時代、その判断は国や、国民の生活を左右する。エリザベス女王は、数多くのロマンスがあり恋多い女性だったが生涯を独身で通し後の世では「処女王(バージン・クイーン)」などと呼ばれた。それは、自分の結婚を最大限に利用したしたたかな外交戦略でもあった。とはいえ、彼女に子供がなく、テューダー王朝はエリザベス女王の代で終わってしまったことを考えると、失敗でもある。エリザベス女王の死後、イングランドの王冠はは劇中で悪役として描かれたメアリ・オブ・ギーズの孫であるジェイムズ1世に渡ることになる。為政者はその統治の中で必ず決断を求められる。その決断が正しかったのかどうかは、歴史が判断するしかない。