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日本
監督 : 黒澤明
原作 : 芥川龍之介『藪の中』
<主なキャスト>
多襄丸 : 三船敏郎
金沢武弘 : 森雅之
真砂 : 京マチ子
杣売り : 志村喬
旅法師 : 千秋実
下人 : 上田吉二郎
巫女 : 本間文子
放免 : 加東大介
……etc
目次 |
『羅生門(1950年)』の作品解説 |
キーワード『藪の中』 |
『羅生門(1950年)』のストーリー |
『羅生門(1950年)』の感想 |
芥川龍之介の『藪の中』を原作にした黒澤明監督作品。1950年8月に劇場公開された。タイトルや世界観などは同じく芥川龍之介の代表作である『羅生門』から取られている。第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞し、海外に日本映画の存在を知らしめる作品となった。また、一つの物事に対して事実は一つのはずなのに、三者三様の認識で矛盾が生じてしまうことを指す「羅生門効果」という心理学用語も、この映画がもとになっている。
『藪の中(やぶのなか)』は、芥川龍之介(1892年〜1927年)の短編小説。初出は「新潮」1922年(大正11年)1月号。平安時代を舞台に、ある藪の中で起こった強姦殺人事件。事件に関わった盗賊と被害者の夫婦。3人の証言はいずれも異なっており、真相は最後まで明らかにされなかった。芥川龍之介研究の中でも屈指の研究論文が発表されているという。『藪の中』の研究初期は社会的な影響を除けば『藪の中』の真相を究明することにほぼ等しかったが、現在では芥川龍之介は『藪の中』に明確な真相をまとめ上げることを企図して書かれたものではないという意見が主流であるそうだ。また、関係者の証言が食い違って真相が分からないことを指して「藪の中」と言うのは、この小説がもとになっている。
平安時代の京の都。京は戦や天変地異によって荒れ果て、人身も荒廃していた。ぼろぼろになった羅生門の下で雨宿りしている三人の男が話している。その中で二人の男――。旅法師と杣売り(そまうり:薪を売る者)はある事件の取り調べで検非違使(けびいし:平安時代の京の警察)で証言をしてきたところだった。その事件とは金沢武弘(かなざわたけひろ)という侍が、何者かに殺害されたもので、杣売りはその死体の発見者、旅法師は金沢武弘と妻・真砂(まさご)が道中で出会った人物だった。それは恐るべき話だったと震える旅法師に、何かに怯えているふうな杣売り。この二人の話を面白そうだと続きを促す下人の男。
金沢殺しの下手人として捕らえられたのは多襄丸(たじょうまる)という京を震撼させていた盗賊であった。多襄丸が語るには、山路で金沢武弘と真砂を見かけた。真砂の美しさに欲情し、藪の中へ言葉巧みに誘い込み、まず夫を縛り上げ、真砂を手籠めにした。事が済んだ後、真砂は二人の男に恥を見られて生きてはいけないから、二人で決闘して勝った方に付いていくと言い出す。多襄丸と武弘は互いに剣を持って切り結び、最後に多襄丸は武弘に止めを刺したが、真砂の姿はどこにもなかったのだという。しかし、その真砂も検非違使で証言をする。旅法師は、真砂のことを多襄丸の話から受ける印象とは全く違っていたと語る。そして、真砂は夫は自分が刺し殺したのだと証言する。さらに巫女によって呼び出された武弘もまた、多襄丸や真砂とは違う証言をしたのだった。それを杣売りは「すべてウソだ」と言い放つ。実は杣売りは死体ではなく、武弘が殺されるまでの一部始終を目撃していたのだが、関わり合いになるのが嫌で黙っていたのだった。
この映画が製作されたのは1950年。まだ日本がGHQによって占領統治されていた時代である。GHQは日本の占領をするにあたり映画にも敵討ちものはアメリカへの復讐心をあおるなどと様々な制約を設けた。俗にいうチャンバラ禁止例であるが、そんな制約の中で日本映画の意地を見せた作品であった。
モノクロでありながらレンズを太陽に向けるという当時としては異例の方法を使って描き出した光と影のコントラストが美しい。そして、当時としては独創的だった一つの出来事を複数の視点で描きながら描いていく手法。その過程で男と女の虚栄心や狂気が露になっていく描写や、なにより一人の役柄でありながらいくつもの顔を見せる難度の高い演技を見事にこなした俳優陣。真相は『藪の中』だった原作と違い、この映画では虚栄心や罪悪感や狂気から全員が少しずつウソをついているという真相を示した。人間の抱えるエゴやウソも、社会を構成する一部であるという事実を視聴者に突き付け、時代が変わっても、変わることのないテーマを露にしたのではないかと思う。