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ワルシャワの秋(2003年)





DATE


日本


プロデューサー : 笠置高弘

演出 : 林宏樹


<主なキャスト>


青木葉子 : 竹内結子

本多隆則 : 坂口憲二

和地典子 : 山本未來

柿沼徳太郎 : 吹越満

アンナ・ヴィルケヴィッチ夫人 : アンナ・ロマントフスカ

岡村信之 : 平岳大

平島社長 : 小林桂樹

志津谷りつ : いしだあゆみ

青木葉子(戦後) : 岸惠子

            ……etc


目次
『ワルシャワの秋(2003年)』の作品解説
キーワード『ポーランド戦災孤児救済(大正9年(1920年)〜大正11年(1922年))』
『ワルシャワの秋(2003年)』のストーリー
『ワルシャワの秋(2003年)』の感想


【作品解説】

 関西テレビ開局45周年を記念して製作され、2003年12月に放送されたテレビドラマ。大正時代の日本を舞台に、革命の最中のロシアから逃れてきたポーランドの難民と彼らを受け入れた日本赤十字の看護婦との交流を描く、実話をもとにした感動秘話。


【ポーランド戦災孤児救済(大正9年(1920年)〜大正11年(1922年))】


 ヨーロッパが第一次世界大戦(1914年〜1918年)の戦火に包まれていた1917年。ロシア帝国では「2月革命」「10月革命」が立て続けに起き、1922年の史上初めての社会主義国家――ソビエト連邦発足に繋がっていく。ロシア革命の余波が波及することを怖れた日本やイギリス、フランス、アメリカの列強各国は、ロシア革命への干渉やシベリアに取り残されていたチェコスロバキア軍の救出を目的にシベリア出兵を行う。シベリア東部への権益拡大を狙う日本は1922年10月に撤退するまで出兵を続けた。


 この頃、ロシア帝国はポーランド人の政治犯などをシベリアに抑留していた。その為、ロシア革命当時のシベリアには数万人程度のポーランド人がいた上に、革命の混乱の中、ロシア各地のポーランド人が極東に流入した。その数は15万から20万人ともいう。シベリアには多くのポーランド人の戦災孤児(シベリア孤児と言われることも)が取り残されることになった。第一次世界大戦後の1918年11月にポーランドが独立したことを受け、彼らを祖国に返すために「ポーランド極東の子供たち救済委員会」が発足する。その代表のアンナ・ビエルキェヴィチが来日し、日本の外務省に協力を要請する。日本の外務大臣は陸軍・海軍の大臣や日本赤十字社と協議を行い、日本赤十字を中心にしてポーランド人の戦災孤児救済の救出を行うことを決める。大正9年(1920年)7月と、大正11年(1922年)8月に合計763人の戦災孤児と付添の大人のポーランド人65名が来日する。ウラジオストクから海路で敦賀に入った孤児たちは、東京と大阪で保護された後、ポーランドに帰国した。その他にも日本の民間によって数百人のポーランド戦災孤児が救われ、ポーランドに帰国した。



【ストーリー】

 大正時代。ロシアでは革命がおこり、日本もシベリアに軍を派遣していた。大阪赤十字病院に勤務する看護婦の青木葉子の恋人の新聞記者・本多隆則もシベリアへと向かう。そのころ、シベリアに取り残されたポーランド人の子供たちは凄惨で過酷な状況に置かれており保護が求めてられる。日本赤十字社は彼らの救援を決め、青木や医師の柿沼らが集められた。青木らはやってきた子供たちのあまりの有様に絶句する。


 子供たちの治療が始められたが、その中に口のきけないカミルという少年がいた。なかなか心を開かないカミルだったが、献身的に接する青木に次第に懐くようになっていった。そんな折、シベリアの本多の訃報がもたらされた。悲しみを振り切り子供たちの世話に心血を注ぐ青木。子供らを連れて海に行くと、カミルは初めて楽しそうに笑うようになり、言葉を取り戻し自分の名はレフ・カチンスキだと語る。別れの時は近づいていた。帰っても身寄りのないレフを引き取りたいと思うようになった青木だったが、それは不可能なことだった。そして別れ――やがて再会の時が訪れるが……。



【感想】

 テレビドラマスペシャルとしては良作の部類に入ると感じた作品。レフが、難民と思えないほど太っていることが少し気になったが……。戦争を伝えていくことは大切だが、こういう事実も伝えて行かなければならないと感じだ。明治・大正という隆盛しつつも戦争が影を落とす時代の日本人の優しさと誇りを感じられる作品だったと思う。