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遺恨あり 明治十三年 最後の仇討(2011年)





DATE


日本

監督 : 源孝志

原作 : 吉村昭「最後の仇討」(短編小説集「敵討」収録)


<主なキャスト>


臼井六郎 : 藤原竜也(幼少期:桑代貴明)

なか : 松下奈緒(幼少期:浅見姫香)

中江正嗣 : 吉岡秀隆

臼井亘理 : 豊原功補

一瀬直久 : 小澤征悦

山岡鉄舟 : 北大路欣也

          ……etc


目次
『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討(2011年)』の作品解説
キーワード『仇討ち禁止令(1873年)』
キーワード『臼井六郎事件(1880年)』
『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討(2011年)』のストーリー
『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討(2011年)』の感想


【作品解説】

 1880年(明治13年)に東京で起こった臼井六郎事件をもとにした2011年2月にテレビ朝日系列で放送されたスペシャルドラマ。吉村昭の『敵討』に収録された短編小説『最後の仇討』が原作になっている。視聴率は13%を記録し、日本の放送業界で最も権威ある賞の一つとされる第37回放送文化基金賞でテレビドラマ番組部門の本賞を受賞した。





【仇討ち禁止令(1873年)】

 明治6年2月7日付で太政官布告第37号『復讐ヲ嚴禁ス』が布告された。仇討禁止令とか敵討禁止令などとも呼ばれる。


 身内や親交ある人、自分が仕える相手などが殺傷されたとき、復讐の意志をもってその相手を殺傷することは、人類の数千年に渡る歴史の中で、無数に繰り返されてきただろう。復讐を無批判に是認することは社会そのものの安定を破壊してしまうが、特に武士階級が台頭してくると、武士の体面を守るために仇討が行われる例も増え、一種の文化・風俗として社会に根付いていく。江戸時代になると仇討ちは、単に黙認された復讐ではなく制度化され、時に当主が殺害された場合はその仇を討たなければ後継者が家名を継げない例も多くあったという。


 明治維新が成ると、新政府は日本を欧米を手本にした近代国家へと生まれ変わらせるため近代法整備に着手した。『復讐ヲ嚴禁ス』が布告されたことで、仇討はただの人殺しとして裁かれることになった。個人が相手にその恨みを晴らすことを禁じられ、罪に対して罰を与えることができるのは公権力のみ、ということを示したものであった。版籍奉還・廃藩置県によって藩と藩主を失い、四民平等の下に士族とは名ばかりの大量失業者となった武士にとって、さらに武士の誇りを踏みにじるものだと、当時は反対するものも多かったという。



【臼井六郎事件(1880年)】

 臼井六郎事件は幕末――慶応4年(1868年)5月23日に九州の福岡藩の支藩・秋月藩の家老だった臼井亘理が、就寝中に妻とともに暗殺された事件に端を発する。臼井亘理は秋月藩の藩政改革に尽力し、西洋式の兵制への転換を進めていた。しかし、臼井の藩政改革や兵制改革に反対し、時勢も顧みず攘夷思想に凝り固まった藩内の保守派は臼井亘理暗殺の暴挙に出る。下手人は上士の子弟で結成された干城隊であり、家老・吉田悟助が干城隊の総督であった。そのため吉田による公正な裁定など望むべくもなく、干城隊には咎めなし、臼井家には御家断絶のところ家格に免じて減禄という理不尽極まりない裁定が下された。


 13年後の明治13年(1880年)12月17日。亘理の長男・六郎は、旧秋月藩主の黒田邸で、下手人の一人で判事となっていた一瀬直久を殺害した。江戸の世なら武士の誉れと称えられるところだが、仇討禁止令の布告の後だったためただの殺人として裁かれることになった。彼こそ孝子の鏡だと六郎を英雄視する世論に裁判所も対応に苦慮したという。臼井六郎に下された判決で殺人は死罪が相当としつつも身分刑が適用されて終身刑となり、1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布の特赦を受け、禁固10年に減刑された。臼井六郎は大正6年、60歳で死去したとされる。


 幕末に殺害された臼井亘理は、秋月藩では数少ない開明派であり、新政府と人脈をもつ唯一に近い人物だった。激動の幕末に藩の舵を取ることができる才覚を持った人物を自ら排除したことで秋月藩は時代の動きから取り残されることになる。明治の初期に多発した神風連の乱などの新政府に不満を募らせた士族の反乱に呼応し、旧秋月藩士ら400人が1876年(明治9年)10月に蜂起。秋月の乱を引き起こす。しかし、新政府の軍によって反乱は数日のうちに鎮圧された。蜂起した秋月党の母体となったのは干城隊であり、首謀者や幹部たちも干城隊の出身者であった。彼らの多くは戦いの中で戦死したり自刃して果てたり、あるいは逮捕されて死罪となったりした。彼らもまた、臼井亘理暗殺に対する報いを受けたと言える。



【ストーリー】

 鳥羽伏見の戦い、江戸無血開城と時代が大きく揺れ動き、秋には明治に改元される慶応4年(1868年)5月。京から秋月藩の執政・臼井亘理が帰ってくるところから物語は始まる。亘理は新政府の大久保利通からも新政府への出仕を期待されるほどの開明派であった。しかし、藩の保守派からは変節漢などと言われ、命すら狙われていた。久々に帰宅した亘理は妻の清、息子の六郎、娘のつゆ、親類縁者らとともに、無事の帰宅を祝う宴席を囲み、新たな時代の到来を語る。「これからの日本がどう変わっていくかはわからないが、より良い方向を目指さなければならない」と、11歳の息子・六郎に語った夜、寝静まった臼井家に保守派の家老・吉田悟助の意向を受けた干城隊が襲撃。亘理は殺害されて首を持ち去られ、抵抗した清も惨殺された。その上、吉田は亘理の死を自業自得と言い放ち、干城隊には咎めなし、臼井家は減禄という理不尽極まりない裁定を下す。


 六郎は犯人への復讐を誓うも、数年が経っても父を殺した一瀬直久、母を殺した萩谷伝之進への復讐を果たせずにいた。剣の鍛錬に励み機会をうかがっていたが、一瀬が秋月を離れて東京に向かう日、六郎は返り討ち覚悟で挑もうとするものの、剣の達人である一瀬に恐れを抱き、姿を見せることもできなかった。さらに、秋月の乱がおこり、参加していた萩谷伝之進も混乱の中姿を消した。六郎は親戚の伝手を頼り東京に出ることを決めた。


 東京で山岡鉄舟と知り合った六郎は、鉄舟の道場で住み込みの書生として働きながら剣の修練を積むようになる。そして、一瀬が判事になったことを知り、探索に赴くようになるが、その行動や日々の稽古での異様な気迫を不審に思った山岡に全てを知られてしまう。六郎の復讐の意志が固いことを知った山岡は、厳しい餞別とともに六郎を送り出す。甲府にいると聞けば甲府に赴き、東京に戻ったと聞けば裁判所の前で張り込む日々。一方の一瀬も、過去に脅え、復讐者の影が迫っていることを感じていた。六郎は、ついに一瀬の自宅を突き止める。人力車を引きながら一瀬の家を探る六郎は、一瀬にも妻や幼い息子がいることを知る。その事実が六郎の復讐の遺志をくじくことはなかったが、人力車で一瀬の家を監視するのはやめた。


 そして運命の明治13年(1880年)12月17日。一瀬が旧藩主の黒田邸に足を運んでいることを知り六郎も赴く。そこで、ついに因縁の両者は邂逅を果たす。隠し持った短刀で斬りかかった六郎に、仕込み杖で応戦する一瀬。そして六郎はついに一瀬を討ち果たし、警察に出頭する。裁判を担当することになったのは一ノ瀬の後輩にあたる東京上等裁判所の中江正嗣判事だった。土佐の郷士の出だった中江は、日本の近代化のために武士の特権はすべて否定されなければならないと考えていた。しかし、臼井六郎と向き合い、13年前の事件の関係者や六郎と関わりを持った人たちと話すうち、明治という時代が捨て去ろうとしているものは何なのかという問いを突き付けられる。



【感想】

 テレビのスペシャルドラマではあるが、出演陣の演技がとても良く、とてもクォリティの高い作品だと感じた。明治維新ほど世の中ががらりと変わってしまった時はないだろう。しかし、人の心が簡単に変わるものではない。武士の誇り――中江が下らないと切り捨てようとしたものに、しがみつかなければ自分を見失ってしまう者もいる。六郎の伯父は、六郎が一瀬を討ち果たした時、「六郎を誇りに思う」と語り、13年前の悲劇を引き起こした吉田でさえ「見事な仇討」と称賛する。だが中江には彼らの想いは理解できず「古い考えに憑りつかれた愚か者」としか思えない。それぞれが、それぞれの抱える価値観を複雑にぶつけ合い、生きるということは何なのかを真摯に問う、骨太な時代劇である。


 かといって、単なる仇討ちものではない、とも感じた。六郎の口から武士の誇りとか美学とかといった言葉が出てくることはほとんどない。むしろ、自身の口でそれを否定させている。親を殺された子が、その恨みを晴らしたいと思うことを、誰が否定できるだろう。最初の法廷の場面で、六郎が中江判事に「母を殺した萩谷は行方をくらませている。萩谷を見つけ出し、法廷で裁いてほしい」と語る場面が、個人的にはとても印象に残っている。もしも、13年前に正当な裁きが下されていたなら、彼はこんな凶行に走らなかっただろうか。また、討たれた一瀬は、明治を生きて息子に、もしも自分が殺されたとしても復讐など考えるな、と伝えるような父親になっている。一瀬が生きた13年――特に判事としての生き方にも興味がわいた。復讐など考えるなと言うためには、公正な裁判をもって罪に対する正当な罰を、国家が責任をもって与えるシステムが構築されなければならないと思う。それがなく、ただやられた側だけに我慢を強いるのはおかしなことだと思う。このドラマが製作されたのは裁判員制度が始まって1年余りが経ったばかりの頃だったからなおさら感じたのかもしれないが、現代の裁判を一瀬が見たらどう評すのだろうか。