DATE
日本
監督 : 田中光敏
<主なキャスト>
五代友厚(才助) : 三浦春馬
坂本龍馬 : 三浦翔平
岩崎弥太郎 : 西川貴教
伊藤博文(利助) : 森永悠希
はる : 森川葵
五代豊子 : 蓮佛美沙子
……etc
目次 |
『天外者(2020年)』の作品解説 |
キーワード『五代友厚(天保6年(1836年)明治18年(1885年))』 |
『天外者(2020年)』のストーリー |
『天外者(2020年)』の感想 |
2020年12月に劇場公開された。タイトルの「天外者(てんがらもん)」は薩摩方言で「凄い才能の持ち主」を意味するのだとか。渋沢栄一と並び称され、大阪経済界の重鎮として「商都大阪」の再興のみならず近代日本経済の基礎を築いた五代友厚の生き様を描いた作品。2020年7月18日に30歳の若さで急逝した三浦春馬さんの最後の出演映画でもある。
明治維新の後、沈滞気味であった大阪経済を再興させた大阪経済界の重鎮であり、東の渋沢栄一と並び称された五代友厚(天保6年(1836年)〜明治18年(1885年))。明治14年の政変のきっかけとなった開拓使官有物払い下げ事件に関わり、政商としての印象も強い人物である。天保6年12月26日(1836年2月12日)に薩摩藩士である五代秀尭の次男として生まれた。少年時代は藩の聖堂造士館で文武を学び、当時からその才覚を評価され、嘉永4年(1851年)に元服すると才助と名乗った。父親の死後、藩に出仕することになった才助は、藩命により幕府の長崎海軍伝習所に遊学。勝海舟らと交友を結ぶ。トーマス・グラバーとも親交を結び、開明的な知見を育んだ。
文久2(1862)年、上海に渡りった才助は薩摩藩のために武器などの購入に奔走するが、文久3年(1863年)の薩英戦争に際しては松木弘安(寺島宗則)とともに英艦隊との交渉に当たるも捕虜となり、横浜に拉致された。解放された後は英艦隊の捕虜となったことを薩摩の国元では悪評になったため、武州や長崎などで亡命生活を送るが、後に帰藩が許され、慶応元年(1865年)に薩摩藩遣英使節団として英国に出発し、産業機材や武器の購入に奔走した。その後、欧州を巡歴。大きな経験を得て慶応2年(1866年)、帰国する。薩摩ではこの経験を活かし、薩摩藩の商事を一手に担う重職で辣腕を振るうと同時に諸藩の志士と交わりを持つ。
慶応3年(1867年)戊辰戦争が勃発し、5月には幕府が崩壊。明治の世が訪れると参与となり、外国事務掛、外国事務局判事、大阪府判事などを歴任。大阪を中心に外交や貿易事務、造幣寮(造幣局)の建設などにかかわった。また明治2年(1869年)の夏に下野した後は、大阪通商会社、為替会社の設立に尽力し、大阪経済界に大きくかかわることになる。その後は実業家として数々の事業や、会社の設立に関わった。大阪経済界の発展に力を尽くした。政界とのつながりも深く、大久保利通の経済政策のブレーンとしても知られる。大阪株式取引所の創設、大阪商法会議所(商工会議所)の設立などにリーダーシップを発揮し、商法会議所の初代会頭となるなど大阪財界の指導者として辣腕を振るう。明治14年(1881年)の開拓使官有物払い下げ事件に関わったことで批判を浴びるが、その後も精力的に活動し、明治18年(1885年)9月25日、糖尿病で没した。大正3年(1914年)、当時の天皇陛下が大阪行幸した際、特旨を以て正五位を追贈された。
江戸時代が終わり向かおうとしていた1857年(安政4年)。薩摩藩主・島津斉彬に才覚を見出され、長崎海軍伝習所で勉学に励む若き薩摩藩士、五代才助の姿があった。才助は自信にあふれた男で、自分の成長が国の成長につながると信じて疑っていなかった。そんな彼を海軍伝習所を仕切る勝海舟や、土佐藩士の坂本龍馬は好ましく思っていたが、才助の鼻持ちならない言動を快く思わない者たちも多かった。あるとき、才助は橋の上から身を乗り出している遊女のはるを助ける。はるは、自分の体に障りたかったら金を払えと言い捨てて去っていく。あるとき、才助は龍馬と共に、大勢の侍に追い回される。逃げる途中で利助(後の伊藤博文)という男の藩主への贈り物として購入した万華鏡を壊してしまい、それを直したことをきっかけに友情を育むようになる。
遊女仲間に文字を教えているはるに遭遇する。客から「遊女に文字など必要ない」と暴言を吐かれ、それに対して「遊女でも文字を覚えれば本を読んで夢を見ることもできる」と反論する姿に共感し、「誰でも自由な夢を見られる世界を作ること」は才助の目指す指針となる。はるの遊郭で下働きをしている岩崎弥太郎と知り合う。イギリスの武器商人のトーマス・グラバーとも交流を持ち、龍馬や利助などと藩を超えた親交を深める。さらに、斉彬から上海での蒸気船を購入を命じられる。着々と自分の理想の実現に向けて行動する才助に、はるは好意を持っていたが、はるには裕福なイギリス人から身請けの話が出ていた。上海での商談を成功させて帰国した才助だったが、薩摩藩ではイギリスとの戦争が始まった。俗に言う生麦事件をきっかけにイギリス艦隊が薩摩藩に砲撃を行ったのである。イギリス艦隊によって才助は捕らえられる。命を賭して戦争を終結させた才助だったが、しばらく解放されなかった。はるは才助の苦境を知り、自分の身請けを申し出ていたイギリス人に協力を求め、才助の解放に成功する。そのような裏があったことなど露知らぬ才助は、長崎へ向かい、そこではるが身請けされたことを知る。
精力的に活動する才助は1865年にはイギリスに渡り、新たな知識の吸収に余念なかった。同時に、はるのことを忘れたこともなくイギリスでも伝手を頼って探していた。1867年、盟友であった坂本龍馬が何者かに殺害され、才助は悲嘆にくれた。そんな才助の下に、はるの消息が伝えられる。病になったはるは日本へと返されていたのだった。療養所ではると再会した才助は、はるを背負い海の見える丘に向かう。約束した誰でも自由に夢が見られる時代はもうすぐだと語る才助の背中で、はるは息を引き取る。その一年後――。明治維新が成り、新しい時代を迎え、才助は政府の高官になっていた。しかし、経済は低迷し、路頭に迷う者が大勢出ており、まだまだ才助が夢見た理想の時代には程遠い。そんな折、武家の娘の豊子と出会う。時代についてこれない人たちは切り捨てられるのが新しい時代なのかと迫る豊子に、まだ道半ばだと言う才助。才助は、志のために官を離れ実業家に転身する。その傍らには豊子の姿があった。
江戸時代の終わりから明治期にかけての近代日本に多大な影響を与えた五代友厚の生涯を描いた作品。令和6年度から流通する新しい壱萬円紙幣の顔に採用された渋沢栄一と並び称される大阪経済界の重鎮、西の巨頭であるが、イマイチ歴史の陰に隠れてしまった感のある人物である。2015年の朝の連続テレビ小説「あさが来る」で主要な登場人物としてディーン・フジオカさんが演じたので、その印象がある人も多いかもしれない。それはさておき、その49年に渡る生涯での業績や活動はとても2時間強の映画に収まりきるものではなく、まとまりの良い映画だと思うものの、ダイジェスト版のような印象を受けた。三浦春馬さんの遺作となった作品。日本の未来を見据え、地位も名声も権力も求めず日本の未来のために奔走した男を、しっかりと演じ切っている。ラストで五代友厚の最期をナレーションで済ましてしまったのは少し残念。そのせいでか、この映画のヤマがどこにあるのか分からなくなったような印象を受けた。五代友厚という人物を知る入り口としてはいい作品だったと思う。