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エル・シド(1961年)





DATE

ElCid/アメリカ
監督 : アンソニー・マン
<主なキャスト>
エル・シド : チャールトン・ヘストン
シメン : ソフィア・ローレン
オルドネス伯爵 : ラフ・ヴァローネ
ウラーカ王女 : ジュネヴィエーヴ・バージュ
ベン・ユサフ : ハーバート・ロム
               ……etc

目次
『エル・シド(1961年)』の作品解説
キーワード『ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(1043年?~1099年)』
『エル・シド(1961年)』のストーリー
『エル・シド(1961年)』の感想


【作品解説】

 日本では1962年4月に劇場公開された、イタリア、アメリカの合作映画。11世紀のスペインの英雄、エル・シド(ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール:1043年?~1099年)の生涯を描いた物語。


【ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(1043年?~1099年)】

 ロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは11世紀のイベリア半島(スペイン)の武将で、通称はエル・シド。シドはアラビア語のsidの借用で、殿とか貴族とかいう意味があるという。イスラムにおいてシドは英雄に対する尊称であり、他にもエル・シドの尊称を受けた英雄もいた。現存するスペイン最古の叙事詩として有名な「わがシドの歌」に登場するロドリゴ・ディアス・デ・ビバールはアルフォンソ6世に忠誠を誓い、イスラム教徒相手に奮戦するキリスト教戦士の鏡のような人物として描かれる。しかし、歴史に残るロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは、武勇に優れた一介の傭兵隊長にすぎず、文学世界のエル・シドとは大きな隔たりがあるのが実際なのだという。

 ロドリゴの生涯は詳しい史料が乏しく、無名の伝記作家が残した『ロドリゴ伝』が、英雄の素顔を残してくれていいる。それによれば、ロドリゴが生まれたのは1043年ごろ。20代のころにカスティリーアの国王サンチョ2世に従って戦場を駆け抜けるが、その王は1072年に暗殺されてしまう。それが、王弟で次期国王のアルフォンソ(アルフォンソ6世)によるものだと思い込んだロドリゴは復讐を決意し、その結果、アルフォンソ6世の不興を買い、カスティリアを追放された、とされる。もっとも、カスティリア追放の理由は、はっきりしたことは分かっていないという。当時ロドリゴはアルフォンソの妹を妻としており、それが追放されるとなると、よほどのことがあったのは確かだろう。

 追放されたと言っても、ロドリゴに従う兵も大勢いたため、彼らを養うには金が必要となる。南下したロドリゴは、サラゴサのイスラム王と契約を結び、その敵のイスラム教徒、キリスト教徒と戦い、その武勇をいかんなく発揮した。この当時のイベリア半島は、イスラム教徒によってキリスト教とは追い立てられ強大なイスラム教国家が建設されていた。しかし、そのイスラム教国家も、いつしか小国家に分裂し争っていた。キリスト教国家であるカスティリアなどは、奪われた土地を取り返すために、イスラム教徒たちと戦いを繰り広げていた。イベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻す再征服の戦い(レキンコスタ)は9世紀から15世紀にかけて続いた。

 ロドリゴにとっては、自分の武勲を認め、より高く買ってくれるほうに就くのは当然で、イスラム教徒の側につくことも、キリスト教徒と戦うことも大した意味を持っていなかった。一度、アルフォンス王に許されカスティリアに戻ったが、再び追放されイスラムの王の下で戦ったりもした。その戦いぶりは残虐非道で、約定を平然と破り、教会を破壊し、略奪を繰り返したと伝えられる。記録の中に出てくるロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは、「わがシドの歌」に出てくる中世の英雄物語の騎士のような清廉で信義を重んじ、アルフォンソ王に忠誠を誓う高貴なる騎士のそれとは、かなり趣が違ってくる。

 イスラムの世界で武勇を称えられたロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは敬意をこめてサイードと呼ばれるようになり、それがスペイン語に入ってシドと呼ばれた。キリスト教世界に戻った後も、ロドリゴの指揮下の兵たちはシドとあだ名した。定冠詞のエルをつけて、エル・シドと呼ばれ、それが後世に伝え残されることになった。1094年にバレンシア城を落とした後は、そこの城主となり、アルフォンソ6世との関係も修復されたいう。一人息子を戦争で亡くすという不幸を味わったが、姉と妹の娘を貴族の子弟に嫁がせ、晩年は王侯貴族のようにして暮らしたとされる。1099年に死去。その死後、ロドリゴの武勇を称え、さまざまな伝説が作られた。その最高傑作が成立年代も作者も分かっていない「わがシドの歌」である。「わがシドの歌」にも正式な題名は付けられておらず、この題名は研究者が便宜上つけたものである。



【ストーリー】

 物語はイスラム教徒・ムーア人がイベリア半島へと攻め込んでくるところから始まる。カスティリヤとアラゴンを仲たがいさせその力の衰えを待ち、攻め入ろうとする指導者ベン・ユサフ。主人公ロドリゴは、婚約者シメラのところへ向かう途中、イスラム勢力に襲われる町を助け、王たちを捕虜にする。しかし、彼らを赦し、縄を解いてしまったため、カスティリア国王やシメンの父親の怒りをかい、縁談は破棄されてしまう。しかも、誤ってシメンの父を殺害してしまったため、シメンにまで恨まれることになってしまう。

 何とか、汚名を返上しようとし、命を掛けた戦いを続け、カスティリア王からも絶大な信頼を置かれるようになるロドリゴだったが、その王が死んだことで王位継承のごたごたに巻き込まれ、カスティリアを追放されてしまう。全てを失ったかに思えたロドリゴだったが、彼を慕って付いてくる者もいた。その中の一人がシメンだった。シメンは彼の人柄を失うことができず、許しを乞い、ロドリゴに同行することを申し出る。ロドリゴについていこうという者は彼女だけではない。多くの兵たちも、ロドリゴを追って続々と駆けつけてきた。そして、再びロドリゴが立つときが来た。ベン・ユサフが乗り込んできたのだ。ロドリゴは最大の要所、バレンシア攻略戦に挑む。



【感想】

 1961年に制作された古き良き時代のハリウッドの歴史大作映画。エキストラをふんだんに使い、中世スペインを画面の中にしっかりと造り出している。単純な、イスラム教徒対キリスト教徒の構図ではなく、スペインをその両者がともに生きられる平和な国にしようとした気高い英雄と、いかなる逆境にあろうとも、その妻である誇りを失わなかったシメンの物語である。レキンコスタってこんなに清々しいものでもなかったと思うし史実としては滅茶苦茶なんだろうが、なかなかおススメの作品だった。とはいえ、全編184分という時間は、少々冗漫で長く感じてしまった。もう少し、絞れる部分はあったようにも思う。