ジャンヌ・ダルク(1999年)
DATE
Jean of Arc/フランス,アメリカ
監督 :リュック・ベッソン
<主なキャスト>
ジャンヌ・ダルク : ミラ・ジョヴォヴィッチ
シャルル7世 : ジョン・マルコヴィッチ
ヨランド・タラゴン : フェイ・ダナウェイ
ジャンヌの良心 : ダスティ・ホフマン
……etc
【作品解説】
日本では1999年12月に劇場公開された、フランスの救国の英雄ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた伝記作品。ジャンヌ・ダルクを英雄としてや聖女としてではなく、一人の少女として描いている。攻城シーンなどは大迫力の映像で描く、娯楽大作でもある。
【ジャンヌ・ダルク(1412年?〜1431年)】
14世紀から15世紀にかけて、アキテーヌの領有問題やフランス王位継承問題などを端緒に、イングランドとフランスの間で戦争が起こった。一般には1337年から1453年まで、長短の休戦を挟みながらの戦争であった。この頃はヨーロッパでは王位継承や領土問題が起こったらローマ教皇へ仲介を求めるのが通例だったが、この頃のローマ教皇はフランスの監視下にあり、フランス人の教皇であったため、イングランドにとって公正な仲裁者であることは期待できなかった。さらに14世紀後半に教会大分裂の時代を迎え、ローマ教皇に国王間の対立を調停する能力は失われていた。
また、14世紀半ばのペストの大流行、イングランド、フランスの両国で発生した農民の反封建闘争などが重なり、戦争の長期化を招いた。そもそも、イングランドはユーラシア大陸にアンジュー、ノルマンディー、アキテーヌといった領地を有していた。フランスの領域内にあり、フランス国王に与えられた形になっていたため、イングランド国王はフランス国王に臣従しなければならなかった。大陸からイングランドの勢力を駆逐したいフランス国王と、大陸にさらなる領土を求めるイングランドと、長年対立関係にあった。そこにフランスの王位継承問題が絡み、自らにフランス王位継承権があるとイングランド国王エドワード3世が遠征を開始した。
時に英仏百年戦争と呼称されることがあるがイングランドとフランスという二つの主権国家同士の戦争としてみるとこの戦争の本質を見誤る。あくまでもフランスの領主が二派に分かれて争った戦争であった。
百年戦争では数々の英雄がその名を残したが、その中で最も有名なのが、16歳か17歳という若さでフランスの軍を率いて勝利をもたらした少女ジャンヌ・ダルクだろう。当時は、“La Pucelle”という風に呼ばれていたという。今でこそ、“乙女”と訳されるようだが、当時のニュアンスではせいぜい“娘さん”という程度のものだったみたいである。彼女が、救国の聖女だったのか、田舎出の女傭兵にすぎなかったのかは意見の分かれるところだが、百年戦争の後は開放したオルレアンや生地ドンレミの村の近くで語り継がれる程度の忘れられた存在となっていた。それを19世紀にナポレオンが救国の殉教者として大々的にPRし、19世紀半ば以降、詳細な研究が表に出るようになり多くの伝記作家によってジャンヌ・ダルクが描かれることになる。
1412年頃にロレーヌ地方のドンレミという小さな村で生まれたジャンヌは、信仰心の厚い両親に育てられ、信仰心厚く育った。13歳のときに初めて神の言葉を聴き、フランスを救えという声に従い王太子シャルルに会うためにヴォークールの街の守備隊長に王太子が居住するシノンまでの道中の便宜を図ってもらうために会いに行った。当然のごとく却下されてしまうが、辛抱強く請願を続けた効果があったのか、6人の護衛をつけてもらうごとができた。なぜ、それが叶ったのかは、さまざまな推論が立てられ、王太子の義母ヨラルド・ダラゴンの陰謀説や、ジャンヌ・ダルクの王族御落胤説などまで、さまざまな説が出てきている。
シノンで王太子に謁見を許されたジャンヌは、そこでひとつの奇跡を起こした。王太子シャルルはジャンヌを試すために王の椅子には他人を座らせ自分は臣下と同じ格好で臣下とともに立っていた。ところが彼女は迷うことなくシャルルを見つけ出したという。その後、2人きりで何事かを話すと、シャルルはすっかり彼女を信じた。この時、何が語られたのかは分かっていない。
この時、フランス中部の要所、オルレアンはイングランドとその同盟軍により包囲されていた。オルレアンはシャルル王太子を支持するオルレアン・アルマニャック派の拠点であった。戦場へ赴いたジャンヌだったが、王太子派の高位貴族や将軍たちは彼女をただの田舎娘と軽んじ、軍議にも参加させないという扱いであった。しかし、戦闘を続け、勝利を重ねると、彼女の情熱に心酔する兵は増えていった。そして、ついに1428年5月8日、包囲されていたオルレアンの開放に成功する。そして、フランス国王と認められるために絶対にしなくてはならないランスでの戴冠式を成功させ、王太子はシャルル7世として即位する。
この頃が彼女の絶頂だったが、やがて彼女の運命は下り坂を迎える。パリを奪還することを強く主張するジャンヌは、イングランドやイングランドに与するフランス人勢力(ブルゴーニュ派)と戦争ではなく和解によって平和を実現したいと考える宮廷と対立するようになる。交戦を主張するジャンヌは宮廷にとって邪魔者になり始めていた。それでも、ジャンヌにパリ攻撃をさせたものの、ジャンヌはそれに失敗。ジャンヌの軍は解散させられた。戦友たちと別れたジャンヌはそれでも少人数の兵士を引き連れ交戦を続け、ついにブルゴーニュ軍の捕虜となった。
シャルル7世は無情にも彼女を見捨てた。ジャンヌはイングランドへと引き渡され、1431年の初頭からルーアンで宗教裁判にかけられた。シャルル7世の正当性を否定するために、彼女を異端として葬ることは決まっていた。ジャンヌが異端として処刑されれば、異端の力を借りて王位についたシャルル7世の王位の正当性を否定することができる。一度は見せかけの温情を示して彼女に悔い改めの誓いを立てさせた審問官は、次に彼女を陥れ異端のレッテルを貼り付けた。そして、5月30日に火刑は執行された。直接の死因は煙による窒息死。ジャンヌが絶命したことを群衆に示し、それから全身を焼き尽くされた。灰は聖遺物として利用されることを恐れてセーヌ川に流された。
ジャンヌの死後5年ほどして、メッツに25歳になったジャンヌが現れるという事件がおきた。ルーランで死んだのは、イングランドが用意した偽者で、自分が本物のジャンヌだと証言する少女が現れたのだった。この時、ジャンヌの兄弟までもが、本物であると証言した、とも伝わる。ジャンヌが生きていたという噂を聞き付けた教会が彼女に出頭を求めると、彼女は姿をくらまし帰ってこなかったという。魔女として哀れな最後を遂げてしまった彼女に、どうしても生きていてもらいたい。同じ時代を生きた人たちの願いが生んだ幻のように思える事件でもある。ジャンヌ・ダルクの復権裁判は25年がたってから行われ、有罪判決は無効という判決が下された。そして1920年に、聖人として列せられた。
【ストーリー】
フランスとイングランドとの百年戦争只中の1425年ごろ。13歳の少女、ジャンヌは暇があれば教会の告解室に入り浸っていた。信仰心豊かだった少女は、度々不思議な幻を見て、不思議な声を聴いていた。ある時、ジャンヌの暮らすドンレミ村がイングランドの兵士に襲わた。姉のカトリーヌはジャンヌを戸棚に匿い、出てこないように言うが、カトリーヌは兵士に捕まり暴行された挙句に殺された。怯えるジャンヌは、板の裂け目からその様子を見ていることしかできなかった。
姉を殺された憎しみからジャンヌは、引き取られた先でも心を開けず、「いつか神が、お前を必要とする日が来る」と説諭する教会の神父に対しても、「今すぐ神と一つになりたい」と激しい感情を露にする。それから時がたち、17歳になったジャンヌはシノンの城にいる王太子シャルルに手紙を出す。この時になると、彼女はもはや自分が神の使者であることを信じて疑っていなかった。自分の使命はイングランド軍に包囲され窮地にあるオルレアンを解放し、王太子シャルルをランスに連れて行き戴冠させること――。
王太子シャルルは主だったものを集めて対応を協議する。多くの者はいかにも胡散臭い少女からの申し出に警戒して相手にするべきではないと進言するが、シャルルの義母ヨランド・ダラゴンは古い言い伝えを持ち出してくる。それを受けて、シャルルもジャンヌに会う決意をする。シノンの城にやってきたジャンヌを試すために、シャルルは家臣のジャン・ドーロンに自分の衣装を着せて王座に座らせた。その罠を見破ったジャンヌは、神の意志として、彼こそフランスの正統な君主であると告げる。シャルルを含めて重臣たちは彼女の不思議な資質を認めないわけにはいかず、軍を率いることを許す。
オルレアンにやってきたジャンヌを、オルレアンを守る主だった者たちは、軽んじ嘲笑う。ジャンヌは、そんな男たちに憤って髪を切り兵士たちを鼓舞する。旗を持ち馬にまたがり先頭に立つジャンヌの姿に、消沈していた兵たちも奮起する。ジャンヌは勝利を続けた。一度は、胸に矢を受けても奇跡を起こして戦場に戻り、イングランド軍の兵士を恐れおののかせた。しかし、勝利したジャンヌの目の前にあるのは屍の山。これが勝利なのか……とジャンヌは苦悩する。しかし、当初の目的であったランスでの戴冠式を実現させ、ここにフランス国王シャルル7世が誕生する。これがジャンヌの絶頂だった。
あくまで抗戦を主張するジャンヌは、シャルル7世たちからしたら鬱陶しい存在になっていく。敗北の末イングランド軍に捕らえられたジャンヌは、異端審問にかけられる。自分の正当性、正義を主張するジャンヌだったが、彼女の前に神とは違う謎の男が現れ、ジャンヌを嘲笑する。自分が信じてきた正義は次々に覆され、しかし、最後に残ったものは神への信仰心だった。
【感想】
ジャンヌ・ダルクという人物はとても描きにくい人だろうと思う。その行動原理は、神の声に導かれ、しかし、その行動は極めて合理的だった。後世の歴史家、作家が彼女に興味を持ったのも当然と言えば当然で、多くの歴史家によって研究され、多くの作家によって、たくさんのジャンヌ像が描かれている。もちろん何度も映画化もされている。リュック・ベッソン監督も独自のジャンヌ像を創るのに苦労しただろうと思う。「神の声を聞いたのではない。自分が見たいと思ったものを見ただけなのだ」物語後半で出てくる台詞が、監督の、神に対する主観なのだろうか。でも、結局は全てに対して、それが真実のような気がする。
映像は本当に素晴らしい。戦闘場面の迫力ある映像は圧巻だった。鎧なども、細部までこだわり、中世フランスをスクリーンの中に造りあげた。ジャンヌ・ダルク役を演じたミラ・ジョヴォヴィッチの凛とした姿はハマり役と言った感じ。完成度は高く見えるのに、どこかつまらなく感じた作品だった。将たちを相手に徹底抗戦をヒステリックに主張し、戦闘が終わった戦場で累々と横たわる敵味方の死体を前に、こんなはずではなかったと嘆いてみせる。もちろん、その根底にあるのは眼前での姉の壮絶な死という現実なのだけれど、どこか情緒不安定さばかりが目立ってしまった気がする。