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南極大陸(2011年)




DATE


日本

演出 : 福澤克雄

原案 : 北村泰一「南極越冬隊タロジロの真実(小学館文庫)」


<主なキャスト>


倉持岳志 : 木村拓哉

高岡美雪 : 綾瀬はるか

氷室晴彦 : 堺雅人

犬塚夏男 : 山本裕典

横峰新吉 : 吉沢悠

船木幾蔵 : 岡田義徳

谷健之助 : 志賀廣太郎

嵐山肇 : 川村陽介

山里万平 : ドロンズ石本

白崎優 : 柴田恭兵

古館綾子 : 木村多江

古館遥香 : 芦田愛菜

古館智大 : 山本學

倉持の父 : 渡瀬恒彦

倉持ゆかり : 仲間由紀恵

鮫島直人 : 寺島進

内海典章 : 緒形直人

星野英太郎 : 香川照之

          ……etc


目次
『南極大陸(2011年)』の作品解説
キーワード『第1次南極地域観測隊(昭和31年(1956年)〜昭和32年(1957年))』
『南極大陸(2011年)』のストーリー
『南極大陸(2011年)』の感想



【作品解説】

 2011年10月から12月にかけてTBS開局60周年記念番組の集大成として、木村拓哉主演でTBS系「日曜劇場」枠で放送されたテレビドラマ。日本がまだ戦後だった昭和30年代を舞台に、南極に挑んだ男たちの物語。初回平均視聴率22.2%と同年の秋ドラマで最高の数字を記録する好調な滑り出しだったものの、その後はじわじわと下がっていき第5話では13.2%に。視聴率一桁もあり得ると言われる状況になったものの持ち直し、最終回では平均視聴率22.0%。最終的には平均視聴率18.0%とそこまで悲嘆的な数字ではなかったが、物足りない数字となった。

 日本の南極研究に大きな足跡を残した第1次南極地域観測隊だったが、帰国時の悪天候によって15頭の樺太犬を置き去りにせざるを得なかった。1年後、タロとジロの2頭の生存が確認され、日本中に衝撃と感動をもたらした。その出来事をモデルにした1983年公開の映画「南極物語」が当時の日本映画の興行収入成績を樹立するほどの大ヒットとなったのは、この出来事が当時の日本の社会に与えた衝撃の大きさを物語る。

 テレビドラマ「南極大陸」は第1次南極地域観測隊に最年少の25歳で参加した北村泰一(昭和6年(1931年〜))の著した「南極越冬隊タロジロの真実」を原案にして制作された。実話を基にしつつも、あくまでもフィクションで、登場人物の氏名や役割などをはじめ、数々のエピソードは史実とは異なっている部分も多い。


【第1次南極地域観測隊(昭和31年(1956年)〜昭和32年(1957年))】

 日本がまだ独立を回復して国際社会に復帰する前の1951年、国際地球観測年が提案された。日本はこれに参加し、南極観測をすることで、国際的な地位を認めてもらおうとした。当初、日本政府は、まだ第二次大戦の遺恨が残っていることや巨額の資金が必要となることもあって乗り気ではなかった、しかし学会が乗り気となり、朝日新聞社などがバックアップを約束したことなどで世論も盛り上がり、日本政府も実現に向けて動き始めた。南極観測への参加にはオーストラリアなど複数の国から「国際社会に復帰する資格がない」という反対があったものの、アメリカ合衆国やソビエト連邦などの賛成もあり、参加が認められた。南極大陸で日本が割り当てられたのは、当時ノルウェーが領有権を主張していた地域だった。ノルウェーが国力不足を理由に南極観測から撤退した為だった。

 昭和31年(1956年)11月8日。永田武隊長によって編成された南極地域観測予備隊(後に第1次南極地域観測隊と呼称が変更される)53名や77名の乗組員、観測機材、犬ぞり用の19頭の樺太犬などを積んだ南極観測船「宗谷」が東京・晴海埠頭より出航した。宗谷は灯台補給船を改修した船であった。シンガポール、ケープタウンを経由して約80日の航海の後、昭和32年(1957年)1月24日、南極大陸の目的地リュツォ・ホルム湾に到着する。宗谷は灯台補給船を改修した船であった。南極の分厚い氷を破って進むには力不足は否めず、陸地の遥か沖合で停泊するよりなかった。南極観測のための基地の候補地を、セスナ機を飛ばし、犬ぞりや雪上車を走らせ、吟味した結果、東オングル島の北部を基地として定めた。基地は「昭和基地」と命名された。

 基地建設を終えた後の2月15日、観測隊は西堀栄三郎を隊長とする越冬隊11名や樺太犬19頭などを残して帰国の途につく。宗谷は、氷海に閉じ込められ、2月18日にソビエトの砕氷艦「オビ号」に救出されるという出来事もあった。1年間の厳しい南極で冬を乗り越えた観測隊員は、様々な観測や探検を行いながら、第2次南極地域観測隊の到着を待った。第1次隊に続き隊長となった永田率いる第2次隊が南極海に辿り着く。しかし、深い岩氷に挟まれ、接岸を断念することとなった。昭和33年(1958年)2月14日、越冬隊の隊員はセスナ機とヘリコプターを使って宗谷に収容された。犬ぞりの為の樺太犬15頭は第2次隊の越冬のために1週間分の食料を与えられて鎖に繋がれた状態で残された。しかし、悪天候に阻まれて第2次南極地域観測隊を昭和基地に送ることができなかった。そのまま状況は変わらず、2月24日、永田隊長は越冬の断念を決めた。15頭の樺太犬は置き去りにせざるを得ず、南極観測隊は世論から激しい非難を受けることとなった。南極観測は第2次で終わる予定だったが、第2次隊の断念を受けて昭和34年に第3次隊が編成され南極観測が続くこととなった。この時、タロとジロの兄弟の樺太犬が生きているのが確認され、日本中に衝撃と感動をもたらした。


【ストーリー】

 日本がまだ戦後から抜け出せなかった昭和30年代。地質学の研究者・倉持岳志は、地球物理学者の白崎優からとある国際会議への参加を誘われる。国際地球観測年が提案され、白崎は南極観測に関わろうと考えていた。白崎には”戦勝国”に対して日本人の底力を見せてやりたいという思いもあった、しかし、参加を表明した国際会議では、“戦勝国”の代表たちから”敗戦国”の日本に参加する資格はない、と散々に侮辱される。それでも、参加は認められたものの、日本に割り当てられた観測場所は「inaccessible(接岸不可能)」と呼ばれ、各国の観測隊を退けてきたドロンニング・モード・ランドのプリンス・ハラルド海岸であった。これを、”戦勝国”からの”敗戦国”日本は来るなという意思表示だと倉持は憤る。

 国内でも、南極観測に対して財政に余裕のない日本政府は一顧だにしなかった。帝都新聞社が南極観測を実現すべく論陣を張るが、企業からの反応は鈍かった。難航する南極観測を実現させようと奔走する倉持の姿を、彼の今は亡き妻・ゆかりの妹・高岡美幸が見守っていた。倉持の背を、南極観測に日本の未来の希望を見た全国の子供たちが後押しした。世論の高まりを受けて南極観測はついに、国の一大プロジェクトとして正式にスタートする。しかし、倉持は昔、集団での登山中に負傷した仲間を事故で失ったことがあった。その過去が問題視され、倉持には南極観測隊には参加が許されなかった。それでも、南極観測隊の役に立とうと、南極での犬ぞり引くための樺太犬を求めて、犬係となった犬養とともに北海道へと向かう。大学院生の犬養は、南極に行きたいがために犬の訓練経験があると嘘をついていた。肝心な船は、戦争中、何度も奇跡の生還を遂げた「宗谷」を、戦艦大和の設計者の設計の下、改修することになる。急ピッチで改修が進むが、人員も時間も足りなかった。しかし、日本中が一丸となり、遂に昭和31年11月、南極観測隊は日本を発ち南極へと向かう。その中には倉持の姿もあった。

 南極に辿り着くまでにも様々な困難が待ち受けていた。南シナ海では大型台風によって荒れ狂う波が、インド洋では灼熱の太陽が、宗谷と船内の隊員や乗組員に襲い掛かる。ストレスから船内は不協和音に包まれ、結束力が失われていく。そんな中、今回の南極観測隊は基地の設営のみとする予定であったが、越冬を主張する者も出てくる。隊長の白崎は、越冬は自殺行為と考えていたが、倉持も本心では越冬を望んでいた。ようやく南極に辿り着いてからも苦難は続く。基地建設場所の選定、食料を流氷に流され、犬ぞりは慣れない環境からか上手く動けない。しかし、次の観測隊のために南極でどう生きていくか身をもって確かめるために越冬が行われることになり、11人の隊員が残った。

 越冬開始早々3ヶ月分の食料を流氷によって失った越冬隊は、南極での自給も試みながら、それぞれ各々がやるべきことを見出し、研究や探検に精を出す。南極では小さな失敗が命取りになる。時に衝突し、時に命の危機と直面し、時に犬たちに救われながら、その度に結束を強めていく越冬隊員たちは、ボツンヌーテンの初登頂などの成果を上げ、1年の越冬を終えようとしていた。第2次南極観測隊を乗せた宗谷が南極に到着した。越冬隊は、一旦セスナ機で宗谷へと向かい、そこで引継ぎを行うことになる。15頭の樺太犬は、第2次隊に引き渡すために鎖につながれて1週間分の食料とともに基地に残された。倉持も誰も、すぐに戻って来るものと思っていた。しかし、悪天候が続いて身動きが取れなくなったうえに、南極の冬を経験していない第2次隊の面々には犬も大切な仲間ということが理解されない。日本国内でも、樺太犬を置き去りにするという報道がなされ、南極観測隊は非難の的になっていた。南極の冬が始まれば、基地に向かうこともできなくなる。リミットが迫る中、倉持は犬たちとの別れの時にとったある行動を悔いていた。



【感想】

 TBS開局60周年記念番組の大トリとして放送された「南極大陸」。視聴率を見ると、まずまずのように思えるが、そうそうたるキャストを集め、半年以上に渡る撮影・編集期間を経て民法の大河ドラマというほど力の入れようでもあったので、物足りないという感じも受けてしまう。やっぱり、邦画の金字塔である「南極物語」のリメイクだと思われてしまったのが大きかったのではないだろうか。「南極大陸」は北村泰一の『南極越冬隊タロジロの真実』を原案にしたオリジナル脚本であるとされている。ただし、「南極大陸」も「南極物語」も、主人公は越冬隊の副隊長だった菊池徹がモデルとなっているし、タイトルやストーリーの展開もよく似ているので、そう思われても仕方ないかな、とも思う。

 舞台となっているのは昭和30年というまだ戦争が生々しく、日本が貧しく、未来への希望を語ることさえはばかられる時代。管理人は昭和の生まれではあるが、平成になったのは小学生の頃だった。終戦直後の復興期なんて知る由もない。「夢で日本を変えられるか見てきたい」劇中で越冬隊に加わった大蔵官僚の台詞が印象的。昭和を感じられるドラマだったかといえば首を傾げてしまうが、日本の未来に純粋な夢を見られた時代が確かにあったと感じられる作品だったと感じた。

 南極観測に限らず、東京オリンピック、大阪万博など未来への希望や夢が日本を引っ張っていった時期は確かにあったのだろうと思う。その先にあったのはバブルと後に言われる好景気と過剰な拝金主義、そしてバブル崩壊後の自信を失い守勢に入り緩やかに衰退していく失われた30年――。あの時代を過剰に美化する気はないし、現在とは状況が違いすぎるが、再び夢が日本の未来を引っ張っていく時代が来てほしいとも切に願う。