凶弾(1982年)

DATE
日本
監督 :村川透
原作:福田洋『凶弾 瀬戸内シージャック』(発表当時は『狙撃』の題で刊行』
<主なキャスト>
荒木英夫 : 石原良純
沼田昭彦 : 古尾谷雅人
水谷宏美 : 高樹澪
内山正一 : 山田辰夫
荒木知子 : 秋吉久美子
荒木正作 : 加藤嘉
森下周蔵 : 神山繁
矢吹船長 : 若山富三郎
……etc
【作品解説】
1982年9月に劇場公開された。原作は1970年5月に発生した「瀬戸内ぷりんす号シージャック事件」を題材に、1978年に発表された福田洋氏のノンフィクション・ノベル「狙撃」(1979年の刊行時に「凶弾」に改題)。
作家で政治家の石原慎太郎を父に、昭和の映画スター・石原裕次郎を叔父に持つ、石原良純の映画デビュー作である。実力派の俳優を随所に配置した豪華な作品だったが、興行的には失敗し、わずか二週間で上映打ち切りとなった。実際の「瀬戸内ぷりんす号シージャック事件」は広島や瀬戸内海などが舞台となった事件だったが、本作の舞台は湘南海岸など関東を舞台にした青春物語となっている。
【瀬戸内ぷりんす号シージャック事件(昭和45年(1970年))】
事件発生は1970年5月12日16時ごろ。宇品港(広島港)に停泊していた瀬戸内海汽船所属の定期旅客船「プリンス号」がライフル銃を持った男に乗っ取られた。瀬戸内海で起こった事件であるため「瀬戸内シージャック事件」とか、乗っ取られた船舶の名称から「ぷりんす号シージャック事件」などと呼ばれる。シージャックは船舶など海の輸送手段やその貨物を強奪したり乗ったりする行為を指す和製英語である。犯人の名前は川藤展久(かわふじのぶひさ)。1949年岡山県生まれ。中学のころから非行に走り、各地を転々とし、窃盗で逮捕されたこともあったという。
乗っ取り事件前日、少年二人と福岡市内で盗んだ乗用車を広島方面走らせていたところ検問で追い越し違反で止められる。盗難車であることが発覚し、現行犯逮捕され警察署に連行されそうになるが、隠していた猟銃で威嚇し、刃物で警察官を負傷させて逃走する。警察はパトカーに乗せられていて逃げられなかった少年一人を確保し、逃げた川藤と少年の行方を追った。川藤と少年は、新たに軽自動車を窃盗し、山口県に逃亡する。郵便局で逃亡資金を強奪し大阪方面への逃走を計画するが、不審人物として警察に通報され、川藤は一人でいるところを一般市民の軽トラックに便乗して捜索していた警察官に発見されてしまう。
警察官は拳銃を抜いて投降を命じ、川藤が反抗すると威嚇射撃を行った。しかし川藤は威嚇射撃に怯まず軽トラックの運転手を猟銃で殺すと脅し、警察官の拳銃を奪い、運転手を人質に軽トラックを奪い広島中心部に逃走する。その後、別行動をとっていた少年は警察の捜索により発見され、抵抗の末逮捕された。広島市内の銃砲店に押し入った川藤はライフル銃3丁やライフル弾と散弾を計300発以上強奪。さらにタクシーの運転手を銃で脅し、宇品港に向かうと、警戒中の警察官に発砲して軽傷を負わせて、停泊中の「ぷりんす号」に乗り込んだ。
「ぷりんす号」に乗り込んだ川藤は、乗組員9名と乗客や桟橋にいた見送り客など約40人を人質に、船長に「大きな街に行くように」と命じて17時15分ごろ、強制的に出港させた。警察は警備艇による追跡を開始。広島県警は、この事件に広島県警の全警察官の3分の1を動員し、近隣の各県警も沿岸部での警戒にあたった。さらに県警は海上保安庁のみならず、海上自衛隊にも協力を求めた。報道各社も航空機を派遣するなど、同じ年の3月31日に発生した「よど号ハイジャック事件」に匹敵する規模で報道合戦を繰り広げた。
そんな中にあっても川藤は警備艇への発砲のみならず、一般人のゴムボートや報道のセスナに発砲するなど投降の意思は見せなかった。21時40分ごろ「ぷりんす号」は愛媛の松山観光港に入港した。川藤は、人質の解放を条件に、代わりの船か燃料の補給を求める。警察は燃料の補給を許可し、川藤は乗員9名以外の人質全員を下船させた。日付が変わった13日午前0時50分に松山観光港を出港。再び宇品港に帰ってきたのは8時50分ごろだった。
川藤に投降する様子が見られない状況に、警察庁は最悪の場合犯人射殺もやむなしと、大阪府警から狙撃手5人を現地に派遣させた。さらに岡山県で暮らしていた父親や妹が説得にあたるも川藤は聞く耳を持たなかった。宇品港でさらにライフルの乱射や偵察のヘリへの発砲を繰り返す。交渉役の船長の話から、警察は川藤が再び出港をしようとしていることを知った。広島県警本部長より発砲許可が出され、午前10時前、狙撃手が発砲した。弾丸は川藤の左胸に当たった。病院へ緊急搬送されたが、午前11時25分に死亡が確認された。
犯人射殺という結末で事件は幕を下ろしたことで、なぜこのような事件に至ったのか、川藤の口から語られることは、永久になくなった。犯人が射殺されたことに対し、やりすぎという意見もあったものの、世論のおおむねはやむを得ない措置だったという見方であった。一連の事件で警察官複数が重軽傷を負った。銃弾を浴び、墜落の可能性もあった警察のヘリコプターや報道のセスナもあった。しかし犯人以外の死者は出なかった。
広島県警本部長は、川藤に対しても「最初から射殺を意図したものではなく、右腕を狙ったものが左胸にあたったもの」だと、広島県議会警察商工委員会で答弁した。広島県警も職務上正当な行為であるとしていた。これに対し、当時の野党第一党の社会党や人権派の弁護士や法学者、一部のマスコミなどは、「見せしめの意図による射殺だった」「裁判によらない死刑だ」などと警察への批判を展開。自由人権協会北海道支部の弁護士らが大阪府警の狙撃手と広島県警本部長を殺人罪で告訴した。のちに不起訴処分となるが、一部のマスコミは狙撃手をあたかも凶悪な殺人犯であるかのように実名や写真を晒し、凄まじいバッシングを展開し、警察を辞職するまでに追い込んだ。
【ストーリー】
悪友の沼田、内山とともに、父の形見の猟銃をぶっぱなしに行った荒木英夫。彼ら3人は少年院で出会い意気投合し、出所後も付き合っていた。散弾銃の発砲を楽しんだ後、雨の中、あてもなく内山の車を走らせていた荒木たちは、ずぶ濡れになりながらはだしで歩いている若い女を見つけ、車に乗せる。追い越し禁止の道路でトラックを追い抜いたが、パトカーに見つかり停められる。実はこの車は、盗んだものだったと知り唖然とする荒木。さらにビールの缶が落ちていたことで飲酒運転を疑われ、猟銃の許可証を持っていなかったことで警官から暴行をうける。警官のあまりに横暴な行動に、激高した沼田が猟銃の銃床で殴ってしまい、追われる身となる。
女を下ろした後、軽自動車を奪い、保護司のもとに向かう荒木たち。しかし、そこにも警察の手が回っており、猟銃を撃ちながら荒木たちは逃げる。荒木と沼田は列車の中で先日の女と再会する。いったん沼田と別れて、女と行動を共にすることになった荒木。女は水谷宏美といい、妻子ある男と不倫し、子供を身ごもると捨てられ、死ぬか子供を堕ろすか迷い彷徨っていたという。じつは荒木も、姉が同じような仕打ちを受けたため、相手の男を殴り殺して少年院に行った過去があった。翌日、沼田が逮捕され、自暴自棄になった荒木は、銃砲店で猟銃と弾丸を強奪し、タクシーを奪うと港に停泊していた旅客船に乗り込んだ。
【感想】
現実の「瀬戸内ぷりんす号シージャック事件」が発生したのは、1970年5月のこと。同年3月に「よど号ハイジャック事件」が発生しており、事件が起こると過激派のテロかと警戒されたが、実際は警察に追い立てられたならず者が、行き当たりばったりの行動によって、なし崩し的に起こしてしまった凶行であった。
映画が製作されたのは事件から10年以上が経過した1982年。その間に1972年2月に「あさま山荘事件」、1974年8月の「三菱重工爆破事件」、1977年9月の「ダッカ日航機ハイジャック事件」といった極左暴力集団による凶悪犯罪が相次ぎ、新左翼への支持や理解は失われていった。さらに1977年10月の「長崎バスジャック事件」と1979年1月の「三菱銀行人質事件」では警察が突入し犯人を射殺して事件解決に至った。1968年に4都道府県で相次いで4人を射殺した事件当時19歳の永山則夫に東京地裁が死刑判決を言い渡したのは1979年7月(最高裁で死刑判決が確定するのは1990年)のことだった。そんな時期に、この事件を、映画は、エンターテイメントは、どう描いたのか。強い興味と共に見た映画だったが……。
正直、酷いの一言。社会の最底辺で歪んでしまった人間を描くには石原良純さんは育ちの良さが出すぎているし、そんな青年が醸し出す狂気を演じるにはキャリアが足りなさすぎ。そもそも国家権力に反抗する若者の構図で映画を撮りたかったのだろうか。何が撮りたかったのかにも首をひねった。傲慢な警察官の権力をかさに着た高圧的なシーンを延々と描き、荒木や沼田の暴行シーンをやむを得ない行動のように矮小化して描いて、「凶弾」は荒木の胸を撃ち抜いた警察官が放った弾丸ではないかというプロパガンダ映画だったのだろうかとも受け取ったが、露骨すぎてプロパガンダにもなっていない。リベラルが力を持っていた当時なら観客の共感を得られたかもしれないが、今の社会ではこういった描き方は受け入れられないだろう。そういう意味では公開当時見られなかったのが残念。もっとも、観客動員が酷すぎてすぐに打ち切りになった所を見ると、当時だってそれほど共感を得られなかったのかもしれないが。ハリウッドばりのカーチェイスや名優陣の演技など、素晴らしい場面は多い映画だったと感じるだけに、もっと「瀬戸内ぷりんす号シージャック事件」と向き合った映画にしてほしかったと思う。