KT(2002年)

DATE
日本
監督 : 阪本順治
原案 : 中薗英助「拉致−知られざる金大中事件(新潮文庫)」
<主なキャスト>
富田満州男 : 佐藤浩市
金車雲 : キム・ガプス
金大中 : チェ・イルファ
神川昭和 : 原田芳雄
金甲寿 : 筒井道隆
李政美 : ヤン・ウニョン
金俊権 : キム・ビョンセ
佐竹春男 : 香川照之
塚田昭一 : 大口ひろし
内山洋 : 柄本明
……etc
【作品解説】
昭和48年(1973年)、東京のホテルグランドパレスから金大中韓国大統領候補がKCIA(大韓民国中央情報部)によって拉致された事件をモチーフにした日韓合作の映画。
日本では2002年5月に劇場公開された。原作は1983年に刊行された中薗英助の長編ドキュメンタリーノベル『拉致―小説・金大中事件の全貌』(2002年に『拉致-知られざる金大中事件』に改題して新潮文庫より刊行された。)。韓国でも日本と同日に公開されたが、観客動員が不振となったため、公開後わずか2週間での打ち切りとなったという。
【金大中韓国大統領候補拉致事件(昭和48年(1973年))】
韓国の民主活動家であり政治家である金大中(キム・デジュン:1924年〜2009年、1998年〜2003年に第15代韓国大統領)は、1971年4月の韓国大統領選挙で新民党(当時)の正式候補として立候補し、当時の現役大統領であった民主共和党(当時)の朴正煕(パク・チョンヒ:1917年〜1979年)を相手に僅差で敗れていた。朴正煕は1961年に軍事クーデターによって軍事政権を成立させた。形式的な民政移行がなされた後も、事実上の独裁体制を維持し実権を握り続けていた。
KCIA(大韓民国中央情報部)は朴正煕の独裁を支える中枢機関であった。金大中は5月に車で光州に向かう途中に大型トラックが突っ込む交通事故に巻き込まれ、腰と股関節に障害が残る重傷を負った。後にこの事故はKCIAによるものだったと判明している。1972年10月に朴正煕大統領は韓国を戒厳令下に置いた(十月維新)。この時、国外にいた金大中は帰国すれば命はないと韓国の民主化運動の軸足を海外に置くことにした。日米の有力者との会談や在外同胞への講演などを精力的に行っていた。
1973年(昭和48年)8月8日、午後1時30分ごろ。東京のホテルグランドパレスの一室で友人たちと会食をした金大中は、部屋を出たところで複数人の男たちに拉致され、金大中は隣室に押し込められた。友人らは元の部屋で監視されていたが、それが解けたことに気付いた時には金大中の行方は分からなくなっていた。金大中の行方や安否はしばらく不明な状況が続くが、事件発生から5日後に韓国ソウルの自宅付近で傷だらけになった状態で発見された。
警視庁はKCIAによる犯行と判断し、現場から発見された指紋から関与が疑われた韓国大使館の一等書記官・金東雲(本名:金炳賛(キム・ピョンチャン))に出頭を求めたが、外交官特権を盾に拒否された。警察は逃走に使われた車が在横浜副領事のものだったことを突き止めており、この金東雲が東京でのKCIAのリーダーとみていたが、外交官という特権に守られた人間を前に手出しができなかった。日本国政府はペルソナ・ノン・グラータ(「好ましからざる人物」を意味する外交用語)を発動し、金東雲は韓国へと帰国した。
日本政府――当時の田中内閣は韓国政府と政治決着を図り、韓国政府は捜査を打ち切り国家機関の関与を全面的に否定した。もちろん、帰国した金東雲が罪に問われることもなかった。日本ではこの主権侵害に対して反韓感情が高まり、韓国でも日本の警備の不備に対する批判の声が高まった。これ以上、日韓の国民感情が悪化することを避けるため、11月に韓国の金鐘泌総理が来日し日本の田中角栄首相と会談し、1975年7月には宮澤喜一外務大臣が訪韓し、金東祚外相と会談した。韓国は国家機関の関与を最後まで認めなかったが、日本側も政治決着による幕引きを図り、有耶無耶の内に事件は終わった。
事件に関しては現在においてもはっきりと糾明されていない部分が多々ある。事件は朴正煕大統領の逆鱗に触れて信用を失った中央情報部長が、大統領の政敵であった金大中を排除して名誉挽回を測ったものだとされている。拉致実行犯が金大中殺害を実行しなかった理由も定かではなく、後に金大中は「船に乗り込むとき足に重りを付けられた」「海に投げ込まれそうになった」とマスコミとのインタビューで語ったという。アメリカ合衆国政府からも韓国政府に圧力があったとか、追跡していた日本の海上保安庁のヘリコプターが照明弾を投下するなどして牽制したため日本国政府に拉致が発覚したことを知った拉致実行犯は金大中殺害を断念した、などと言われ、金大中も追跡してきたヘリコプターがあったと証言しているという。当時の田中角栄総理大臣は拉致計画を黙認していたとも言われる。また政治決着を図るにあたり日本の首相に金銭が支払われたという記事が週刊誌に乗ったこともあるが、今となっては真相は藪の中である。
金大中は1998年に韓国大統領となっている。大統領となった金大中氏は、KCIAに対して、事件についての一切を不問にするという立場をとったが、権限や規模を大きく削減した国家情報院(NIS)として再編させた。2007年、韓国国家情報院の真相調査委員会がKCIAによる組織的関与があったという報告書をまとめ、これをうけた韓国政府は拉致事件へのKCIAの関与を正式に認めた。朴正熙大統領の関与や指示については、可能性は排除できないとしつつも直接の証拠は見つからず、少なくとも暗黙の承認があった、という見解に留めた。
【ストーリー】
1971年4月、韓国大統領選挙は現役大統領の朴正熙が三選を果たした。しかし、その勝利は様々な妨害工作の末の物であり、朴大統領と大統領の椅子を争った野党候補、金大中の存在感が内外に知らしめられ、大統領側近らは危機感を強める。金大中は、大統領選挙の直後に大型トラックにより追突され、腰と股関節に後遺症が残る重傷を負った。その金大中が日本を訪れていた1972年10月、朴大統領は非常戒厳令を宣言し、反対勢力に対する弾圧を開始した。金大中は韓国に戻ると命が危うくなると考え、日米にいる在外同胞に訴えかけ、協力を求める戦略に切り替えた。
1970年(昭和45年)11月。作家の三島由紀夫が、陸上自衛隊市谷駐屯地で、東部方面隊総監を人質に自衛官たちに決起を促す演説を行う、という事件が発生した。この演説に同調する自衛官はおらず、三島は総監室で割腹自殺して果てた。総監室に一人の自衛官が近づき、三島のために花を手向けた。取材中の記者の一人がそれに気づきコメントを求めると、その自衛官は記者を殴りつけて立ち去った。その自衛官は富田満州男という自衛隊諜報機関に属する男であった。
それから時が過ぎ、北朝鮮スパイの監視をしていた富田は、委政美という韓国人女性と出会う。KCIAも同じ北朝鮮スパイを張っていたため、富田らと一悶着が起きる。委政美はかつて韓国の民主化運動ときに拘束され、拷問を受けた過去があった。また、在日韓国人の金甲寿は、民団の幹部より金大中の護衛を依頼される。KCIAによる金大中の暗殺計画が噂されていたからである。いざというときは肉の壁となって金大中を守る役目。在日という立場で日本と韓国のはざまで揺れていた金甲寿はそれを引き受ける。金大中の人柄に触れるようになった彼は、彼の話を少しでも理解しようと、嫌っていた韓国語の勉強に取り組むようになった。
KCIAには新たな命令が下されていた。金大中の拉致暗殺である。朴大統領が日本軍士官学校にいた時の同期だった情報機関に属する自衛隊幹部から、民間の調査会社を設立しKCIAのサポートをするように指示が出る。それに白羽の矢が立ったのが富田だった。形の上では自衛隊を退官して、「大和リサーチ」の所長に収まった富田は、かつて北朝鮮スパイを巡ってトラブルとなった金車雲と再会する。
金大中はKCIAの妨害を警戒して、数日おきに滞在場所を転々としていた。富田がKCIAからもたらされる情報は不可解に古かったりニアミスをしたりしていた。KCIAの中に情報操作しているものがいる可能性がある。疑心が募る中、金車雲は一人の新聞記者の神川という男が金大中と接触したことを突き止め、富田が会いに行く。ところが神川は富田を見るなり殴りつける。神川は三島由紀夫事件の時に富田が殴りつけた記者だった。
富田には神川に金大中の活動に感銘して出資金を出したがっている人間がいるので連絡を取りたいと頼む。富田の頼みに対して自分も連絡取れないと答える神川。しかし、神川は金大中と再び接触することになっていた。神川を尾行した富田とKCIAはついに金大中の居場所を突き止める。しかし、このころ日本の警察もKCIAの動きをつかんでおり、KCIAに金大中の追跡をやめるように警告を発する。韓国大使もKCIAに中止を命じるが、KCIAは韓国大使の指揮下にはない。トップからの至上命令を盾に、金車雲らは計画の続行を宣言する。いよいよ、拉致暗殺の計画が実行に移される日が来た。日本の警察に面の割れているメンバーが外され、富田にも協力が求められる。富田は2千万円の小切手を前に返事を保留する。
金大中が日本で講演する8月9日を前に決行を目指して作戦が立てられるが再び情報が漏れ、決行は中止される。もはやKCIAの中に裏切り者がいるのは間違いない。裏切り者とみなされた一等書記官を殺害したKCIAは今度は金大中が東京のホテルに滞在している韓国の国会議員を訪ねてくるという情報をつかみ部屋をとった。それがもはやラストチャンスだ。動き始めたKCIAの工作員。その中には富田の姿もあった。
【感想】
1973年に起こった金大中拉致事件の映画化。被害者である金大中氏が大統領だった2000年に制作が始まった。派手さの少ない地味な作品ではあるし、事件そのものに対する知識がなかったら話が見えないんじゃないか、と思わないでもなかったが、骨太で良質な、日本では決して多くはない実話を基にしたポリティカル・サスペンスである。描かれていることが全て事実だと思わないし、クライマックスの海上保安庁のヘリに銃撃する場面は原作にもない場面(管理人は原作は未読)だったりと、映画的な創作も加えつつ描いている。
この映画の中で主人公は諜報機関に所属する国粋主義者の自衛官で、KCIAの陰謀に巻き込まれながら、この事件を己の戦争と位置づけ、KCIAと行動を共にするようになり、拉致にも直接関与するという設定となっている。事件への自衛隊の関与は当時からまことしやかに囁かれていたと言う。主人公の富田も、陸上自衛隊の諜報機関に所属し金車雲とも面識があり、退官して探偵社を営んで事件に関わった元自衛官がモデルになっているという。日陰者の自衛隊に疑問を感じ、最後は勝手に“自分の戦争”を始めてしまった富田の姿と、国家のために冷徹に命令を遂行する金車雲の対比が印象的である。