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大河への道(2022年)




DATE


日本

監督 : 中西健二

原作 : 立川志の輔


<主なキャスト>


池本保治/高橋景保 : 中井貴一

木下浩章/又吉 : 松山ケンイチ

小林永美/エイ : 北川景子

安野富海/トヨ : 岸井ゆきの

各務修/修武格之進 : 和田正人

吉山朗/吉之助 : 田中美央

山本友輔/友蔵 : 溝口琢矢

梅さん/梅安 : 立川志の輔

山神三太郎/神田三郎 : 西村まさ彦

和田善久/綿貫善右衛門 : 平田満

千葉県知事/徳川家斉 : 草刈正雄

加藤浩造/源空時和尚 : 橋爪功

              ……etc


目次
『大河への道(2022年)』の作品解説
キーワード『大日本沿海輿地全図(文政4年(1821年))』
『大河への道(2022年)』のストーリー
『大河への道(2022年)』の感想


【作品解説】

 2022年5月に劇場公開された日本映画。原作は立川志の輔の創作落語の「伊能忠敬物語 -大河への道-」。俳優の中井貴一さんがこの演目を聞いて映画かを直談判したという。江戸時代後期に日本中を歩いて極めて精度の高い日本地図を完成させた伊能忠敬が完成前に死去していた、という実話を基に、時代を超えて右往左往する人たちを描いている。




【大日本沿海輿地全図(文政4年(1821年))】

 大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)は江戸時代後期に作成された日本地図。中心となった伊能忠敬(いのうただたか:延享2年(1745年)〜文化15年(1818年))の名を取って「伊能図」とか「伊能大図」などと呼ばれることもある。伊能忠敬は上総国の商人であった。上総国山辺郡小関村(現在の千葉県九十九里町小関)に生まれ、17歳の時に下総国香取郡佐原村(現在の千葉県香取市佐原)の名門商家であった伊能家に婿養子に入った。当時の佐原村は天領であり利根川舟運の中継地として栄えていた。主な家業であった造り酒屋をはじめさらに水運、不動産、金貸しなど手広く広げ、優れた商才を発揮して伊藤家を盛り立てるとともに佐原の名主として村人たちからの信頼を集めていたという。


 49歳で隠居した忠敬は、寛政7年(1795年)――50歳の時に天文学暦を学ぶために江戸に行き深川黒江町に居を構える。幕府天文方の高橋至時(たかはしよしとき)明和元年(1764年)〜享和4年(1804年))に師事した。高橋至時は当時31歳であった。忠敬は佐原にいた頃から本を取り寄せ学問を学んでおり、中国の暦学にかなりの知識があったという。高橋至時は西洋の天文学を学び、寛政暦(寛政10年(1798年)より施行)への改暦の中心になった人物である。至時に弟子入りした理由は忠敬が中国の暦法である「授時暦」の不完全さへの疑問を江戸の学者たちに質問し、答えられたのが至時だけだったから、という話がある。


 勉学に励み、測量や天体観測などについて修めた忠敬は、至時から幕府への推薦もあり寛政12年(1800年)、55歳の時に蝦夷地および東北や北関東の測量を始める。至時や忠敬の目的北極と南極を結ぶ子午線の1度――つまり緯度1度の正確な距離を測量し、最終的には地球の大きさを割り出すというものであった。この頃、ロシアなど西洋の艦船が日本の近海に頻繁に出没するようになっており、幕府としては国防上の理由から日本沿岸の地図を求めていたため、この計画にゴーサインを出し、各藩に忠敬の測量に協力するように命じた。忠敬は6人の測量隊を率いて寛政12年の第1次測量を成功させる。享和元年(1801年)からは本州東海岸、東北西海岸、東海・北陸地方沿岸を測量し、文化元年(1804年)、東日本の地図をまとめて幕府に提出する。ここまでの測量の旅は、幕府としても前代未聞で成功をするのか訝しんでおり、許可は出しても金銭面での負担はあまり負いたくないと考えていた。そのため測量隊にかかる費用は忠敬が私財を投じての旅であった。


 提出された東日本の地図の完成度の高さに驚いた幕府は、文化2年(1805年)の測量からは幕府の直轄事業とし、忠敬は幕府天文方の役人として取り立てられた。以降、文化13年(1816年)まで各地の測量の旅が続けられた。幕府の事業となった後は、費用面の心配をする必要がなかっただけでなく、各藩の役人が人足を手配するなどスムーズに進むようになったという。しかし、測量の旅に同行するようになった幕府天文方の役人と、これまでの測量に同行していた忠敬の弟子たちとの軋轢が起きるなどの弊害もあったという。忠敬は年齢的なこともあり健康面での不安を抱えており、測量隊に同行できないこともあった。文化15年(1818年)に「大日本沿海輿地全図」の完成を待たずに逝去。至時の長男である高橋景保(たかはしかげやす:天明5年(1785年)〜文政12年(1829年))の監督の下仕上げ作業が行われ、文政4年(1821年)に完成。「大日本沿海実測録」とともに幕府に提出された。



【ストーリー】

 千葉県香取市の市役所では、観光課による地域振興のプレゼンテーションが行われていた。総務課主任の池本は、突然発言を求められ、とっさに伊能忠敬を主人公にした大河ドラマを誘致しては、と提案してしまう。地元では“ちゅうけい”さんと呼ばれて親しまれている忠敬だが、イマイチ地味なこともあって会議は脱線して終わる。それで終わった話だと思っていたら、知事が興味を持ち大河ドラマ化を目指す話が動き始める。期限は知事の在任中。不本意ながら陣頭指揮を執ることになった池本が最初に向かったのは加藤という脚本家の元だった。加藤は知事推薦の大脚本家だが20年間脚本の仕事から遠ざかっており池本からの依頼もすげなく断る。どうすればまた書く気になるのかと尋ねる池本に、加藤は「鳥肌だよ」と答える。池本は加藤を連れて伊能忠敬記念館を訪れる。そこで見た現代の日本地図と比べても遜色ない「大日本沿海輿地全図」と、それを日本中を歩いてして制作されたものだという事実に、加藤は確かに鳥肌を感じた。しかし、シナリオの骨格作りを始めた加藤は、伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」の完成前の3年前に死去し、その死が3年間伏せられていたという事実に辿り着く。

 時は文化15年(1818年)の江戸。幕府の事業であった日本地図の完成を待たずして伊能忠敬が死去した。忠敬の師の息子である幕府天文方の高橋景保は、忠敬の弟子たちから忠敬の死を伏せてほしいと懇願される。莫大な金がかかる地図作りには幕府から無駄金という声が上がっていたため、このまま忠敬が死んだことが分かれば、中止となりかねなかったからだった。残りあと3年の猶予をという弟子たちに景保は憤慨して出て行く。忠敬が死んだことを隠して幕府に公金を拠出させたことが分かったら忠敬の弟子たちの死罪は免れない。景保なりの思いやりであった。しかし、忠敬の元妻のエイに嵌められて、忠敬の死の隠蔽に協力することになってしまう。忠敬を無縁仏として葬り、幕府を誤魔化すために忠敬の偽物を立てたり、病と偽ったりしながら、地図作成を急ぐ景保と忠敬の弟子たち。しかし、幕府の勘定方は、姿を見せない忠敬を訝しみ、調査を始めていた。


【感想】


 郷土の偉人である伊能忠敬を大河ドラマにしようと奮戦する千葉県香取市役所の職員らと、江戸時代の「大日本沿海輿地全図」を完成しようと奮戦する高橋景保や忠敬の弟子たちの物語の物語を、二つの時代を行き来しながら描いている。現代と江戸時代と一人二役を演じると聞いて、正直、安っぽい物語になってしまうのではないかと不安に思いながら見た映画だったが、実力派の俳優陣が上手く演じて分けている。


 劇中、伊能忠敬本人は回想含めて全く出てこない。しかし、弟子たちが命を賭してその偉業を達成しようと試み、時代を超えて人々に感銘を与える人物として、大きな存在感とともに描かれている。伊能忠敬の人生は、中高年の人たちには幾つになっても為そうと思えば成せるということを教えてくれるし、若い人たちにはそれも若いころの失敗や経験、勉学の蓄積があってこそ、という大きな示唆を与えてくれことだろう。2025年の大河ドラマは「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」と大きな戦がなかった江戸時代中期が舞台に描かれた。存外、大河ドラマで伊能忠敬の人生が描かれるのも遠い未来ではないのかもしれない。