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天地明察(2012年)




DATE


日本

監督 : 滝田洋二郎

原作 : 冲方丁『天地明察


<主なキャスト>


安井算哲(渋川春海):岡田准一

えん:宮崎あおい

村瀬義益:佐藤隆太

関孝和:市川猿之助

本因坊道策:横山裕

水戸光圀:中井貴一

保科正之:松本幸四郎

         ……etc


目次
『天地明察(2012年)』の作品解説
キーワード『貞享暦への改暦(貞享元年(1684年))』
『天地明察(2012年)』のストーリー
『天地明察(2012年)』の感想


【作品解説】

 原作は2009年11月に角川書店より刊行された冲方丁の同名小説。江戸時代前期の囲碁棋士・天文暦学者の安井算哲(後の渋川春海)の生涯を描いた作品で、第31回吉川英治文学新人賞、第7回本屋大賞を受賞し、第143回直木賞の候補作となった。


 劇中では、安井算哲のみならず、近代囲碁の祖とされ日本の囲碁の歴史の中でも最強とも言われる本因坊道策、日本独自の数学(和算)が高等数学として発展していく基礎を築いた関孝和といった、江戸時代初期の芸能や学問に大きな功績のあった人物の名が出てくる。こういった人物が輩出されたのは戦乱の時代が終わり50余年経ち、力による統治から儒教でいうところの徳による統治へと移行していた時代へと変わり、社会の安定が学芸に力を入れる余裕につながったからなのだろう。そんな時代に、天の理という壮大な世界を舞台に、刀を使わない戦いに挑んだ男の、20年に及ぶ物語。



【貞享暦(じょうきょうれき)への改暦(貞享元年(1684年))】

 貞享暦は貞享2年(1685年)から宝暦4年(1755年)まで使われていた暦法。貞観4年(862年)から800年にわたって使用されていた宣明暦は、唐の時代に策定された非常に優れた暦であったが、その間にたまり続けた誤差によって天象に2日ほどずれが生じていた。また暦の編纂は朝廷の占有事項であり、その内容は陰陽寮以外には秘密とされていたが、長く使用されていたことで外部に情報が流出して独自研究がなされたり、長く続いた戦乱によって京で作られた暦が地方に伝達しにくくなったことなどがあって、民間で独自の暦が作られ混乱をきたしていた。新たな暦の策定は急務であったが、朝廷が長らく中国の王朝と正式な交流を持たなかったことや、日本の暦学が独自の暦を作るだけの域に達していなかったこと、何より朝廷の衰退によってその余力がなく、改暦が行われずにいた。


 渋川春海(しぶかわはるみ:寛永16年閏11月3日(1639年12月27日)〜正徳5年10月6日(1715年11月1日))は1670年(寛文10年)の32歳の時から日夜天体観測を行い、中国の元の時代に作成された授時暦こそが完成された暦であると確信し改暦を申し出るが、延宝3年(1675年)に日食予報に失敗し、申請は却下された。授時暦の誤りを研究した結果、時差が発生することに気づき、観測データをもとに授時暦に改良を加えた大和暦を完成させる。春海は大和暦を採用するように朝廷に上奏するが、大和暦は受け入れられず明の大統暦を採用する詔勅が出てしまう。春海は中国の暦をそのまま用いても日本では決して適合しないと主張し、三度の上奏を経て、貞享元年(1684年)に大和暦は新しい暦として採用され、翌年の元日より70年に渡り使用された。採用された年の元号にちなんで貞享暦と命名された。授時暦をベースにしているとはいえ、貞享暦は初めて作られた、日本に適用された日本独自の暦法であった。


 春海の授時暦への理解は、同時代の和算の大家・関孝和より劣っていたという説もある。しかし、暦の改定は、政治的な問題も多く孕んでいた。春海は長年蓄積してきた天測のデータに裏打ちされた理論のみならず、家職である碁所を通じて幕府要人の間でも顔が広く、また京都で神道を学んでいた関係から朝廷にも顔が利いたという縁もあり、優れた協力者や後ろ盾を得ることに成功した。改暦は政治闘争に勝ち抜き達成された偉業でもあった。渋川春海はこの功によって初代幕府天文方に任ぜられた。



【ストーリー】

 時は四代将軍徳川家綱の時代。碁打ちとして幕府に仕え、算術や天文などにも興味を持っていた好奇心旺盛な青年・安井算哲。碁打ちは、囲碁の指南を通じて大名や幕府要人にも顔が広く、算哲は会津藩主・保科正之に目をかけられ、会津藩の江戸藩邸に住まわせてもらっていた。ある日、金王八幡宮でえんという女性と出会い、和算の鬼才である関孝和の存在を知る。同じ日、家綱の前で本因坊道策を相手に上覧碁を行うが、そこで本来準備されていた棋譜の打ち筋を離れ道策に仕掛けられた真剣勝負を受けてしまう。そのことで師匠から叱責を受けた算哲は、さらに保科正之から呼び出され、一振りの刀を下賜されるとともに「日本各地で北極星の位置を確認する旅(北極出地)」に出るように命じられる。これは武士として幕府の事業に参加することを意味していた。その前に、関孝和に会うための手がかりを求めて村瀬塾という和算塾を訪ね、えんと思わぬ再会を果たす。彼女は塾長の村瀬義益の妹だった。算哲とえんは互いにほのかな恋心を抱き、再会を約束して算哲は江戸を旅立つ。


 上役の建部伝内、伊藤重孝に気に入られた算哲は、彼らから800年にわたり使われてきた中国の唐の時代に作られた宣明暦にずれが生じており、日食・月食の予測もままならなくなっている事実を聞かされる。一年を超える北極出地の任を終えて江戸に戻った算哲は、暦のずれについての話を保科にする。保科もまた、新たな暦の必要を認識しており、改暦に向けた一大計画を立ち上げる。その責任者に算哲を据えることを決める。しかし、それには想像以上の困難を伴った。暦を司る朝廷の公家たちの利権の温床になっているからであった。3年にわたる観測の末、算哲は元の時代に作られた授時暦こそが完成された暦であると結論付け、幕府を通じて朝廷に改暦の請願を行うが、授時暦は日本に攻めてきた元の暦であるため不吉であると却下されてしまう。算哲は民衆の前で今の暦が間違っていることを証明するための三暦勝負を提案する。ところが、その三暦勝負で蝕の予想を外してしまう。算哲は、授時暦を独自に研究していた関孝和と会い、なぜ授時暦の不完全さに気づかなかったのかと罵倒されるが、授時暦の誤りの原因を突き止めてほしいと研究成果を託される。再び改暦の大勝負に挑む決意を固めた算哲は、えんに嫁に来てほしいと告げる。



【感想】


 実際に存在した天文暦学者・安井算哲の半生を、史実に作家の創作や映画的な脚色を加えつつ描いた作品。難しい天文用語や、算術の解法などは排除し、戸惑うことも躓くこともなく最後までテンポよく見られる。天を相手の真剣勝負、といった趣の話で、関孝和や水戸光圀といった天才や有力者の力を借りながら一つ一つ問題をクリアしていき、建部伝内や山崎闇斎、保科正之といった志半ばにして命を落とした算哲の人生の師の想いを背負いながら困難に立ち向かっていく姿は印象的である。暦も含めて、今、普通に使っているものも、多くの人たちの気の遠くなるような積み重ねと、天才たちの思考と不断の努力によって完成されたものなのだと実感させてくれる作品だと思う。


 天体観測と、それに基づく暦づくりがストーリーの中核なので、映画にしようと思ったら画が地味になってしまい苦労しただろうな、と思う。中盤のアクションシーンは、画面に動きや派手さを演出するためだったのだろうか、とも思うが、唐突に突っ込んできたシーンという印象は免れない。そのあとの話の中で、この襲撃事件が話題に出ることもなく、やっつけで入れた感が強く、個人的にはあまりいい印象は受けない。実力派のキャスト陣の好演が光る作品だが、物語の始まりから終わりまで20年以上の歳月が経っているはずだが、算哲もえんもいつまでも若々しく、時間の経過を全く感じられないのも不満な点。