會議は踊る(1931年)
DATE
DER KONGRESS TANZT/ドイツ
監督 : エリック・シャレル
<主なキャスト>
クリステル : リリアン・ハーヴェイ
アレクサンドル一世 : ヴィリー・フリッチ
宰相メッテルニヒ : コンラート・ファイト
秘書官 : カール・ハインツ・シュロス
伯爵夫人 : リル・ダゴファー
……etc
【作品解説】
1931年制作のドイツ映画。音声と映像が同期したトーキー映画が商業化されたのは1920年代後半であり、トーキー映画の初期の名作として知られている。ドイツでは1933年にナチスのヒットラーが首相となっている。ヒットラーは多くの映画を退廃芸術として上映を許さなかったという。この映画もその一本だが、日本では太平洋戦争が始まる頃まで何度も上映されたという。
【ウィーン会議(1814年〜1815年)】
フランス革命の後の混乱するフランスをクーデターによって掌握し、ヨーロッパの大部分を支配する空前の大帝国を築いたナポレオン皇帝だったが、1812年のロシア遠征に失敗。これを機に1813年に対仏大同盟軍が結成され、諸国民解放戦争が始まる。ナポレオンはこの戦いに敗北し、1814年に逮捕され、イタリアの西方、ティレニア海のエルバ島に流刑となった。
ナポレオン帝国の崩壊後、フランスが蜂起した領地の配分や新しいヨーロッパの在り方をめぐり、合計140を超える王国や公国の君主や代表が集まったが、その中でも開催国のオーストリア、大国のプロイセン、イギリス、ロシア、そして敗戦国のフランスの五国委員会がリーダーシップを握っていた。フランスが入っているのは意外だが、タレーランが歴史上最高レベルの一人として讃えられる凄腕外交官だったのはフランスには幸いだった。
集まった君主たちは自国のが有利になるように会議に挑み、紛糾する会議はたびたび停滞した。オーストリア宰相メッテルニッヒは、局面打開のために舞踏会を催し、君主や代表たちは社交に忙しかった。その様子を揶揄して『会議は踊る。されど進まず。』と言われた。しかし、ナポレオンがエルバ島を脱出すると各国は協調に転じざるを得なかった。タレーランが提案した1792年以前のヨーロッパの秩序と領土を回復しようという正統主義と勢力均衡を軸に調整が進み、ウィーン議定書が調印された。
【ストーリー】
オーストリアのウィーンにヨーロッパ各国の代表を招いて、ナポレオンが消えた後のヨーロッパの秩序の再構築を行うための会議が開かれようとしていた。智謀に長けたオーストリア宰相のメッテルニヒは、新たな秩序の覇権を握ろうと画策している。各国の君主の行列がウィーンの街を彩り、市民の歓呼の声に迎えられている。
そんな中、手袋屋の娘クリステルは君主の行列に向かって、観覧席から「ウィーンで最高の手袋は羊飼いの娘のマークの当店で!」というメッセージを添えた花束を投げて、問題を引き起こしていた。宰相が禁止したにもかかわらず、ロシア皇帝アレクサンドル1世の行列に花束を投げつけてしまい、爆弾騒動になってしまう。このことで逮捕されたクリステルは、鞭打ち刑になることになってしまう。そのことを聞いたアレクサンドル1世は、恩赦を与えるように交渉し、鞭打ち刑は回避された。自分を助けたのがアレクサンドル1世当人だと知らぬまま、一緒に酒場へ向かい、そこで相手が誰なのかに気付く。
メッテルニヒ宰相は盗聴したり手紙を盗み読みしながら、オーストリアの利益になるように会議を誘導しようと謀っていた。アレクサンドル1世を篭絡して会議に参加できないようにようにと美しい伯爵夫人を差し向けたり、クリステルに好感を持っていると知れば、彼女とより親密になれるように誘導しようとした。それを、替玉のウラルスキーを上手く使いながら、会議にも参加してみせメッテルニヒを驚かせる。ウィーン会議はメッテルニヒの思惑通り豪華絢爛な舞踏会と化し、君主たちは何のために集まっているか忘れそうになっていた。しかし、エルバ島からナポレオンが脱出して各国の君主たちは急ぎ帰国しなければならなくなる。
【感想】
ウィーン会議の主要国のロシア皇帝アレクサンドル1世が、町で見かけて気に入った町娘に一時だけのおしのびの恋をするというミュージカル。ウィーン議定書の内容にはほとんど触れられていないが、ナポレオンが消えて浮かれ切ったヨーロッパ君主の姿が、アレクサンドル1世の姿を通してユーモラスにコミカルに描かれている。策謀をめぐらせるメッテルニヒにしても、盗聴して自分の策がうまくいってにんまりしている様など、ふざけているけれど面白い。ミュージカルなのに登場人物があんまり歌がうまく感じなかったのは、当時の映画技術のせいだろうか。どうしたってこんな最後になってしまうんだろうな、と思う最後だったが、クリステルと同時に、観客である自分自身も現実に引き戻されたような感じを覚えた。