フランケンシュタイン(1994年)
DATE
MARY SHELLEY'S FRANKENSTEIN/アメリカ
監督 : ケネス・ブラナー
<主なキャスト>
クリーチャー : ロバート・デ・ニーロ
ヴィクター・フランケンシュタイン : ケネス・ブラナー
ヘンリー : トム・ハルス
エリザベス : ヘレナ・ボナム=カーター
ウォルドマン教授 : ジョン・クリーズ
ロバート・ウォルトン船長 : エイダン・クイン
……etc
【作品解説】
日本では1995年1月に劇場公開された古典ホラー作品。製作のフランシス・フォード・コッポラ氏は、1992年に「ドラキュラ」に製作・監督で関わっており、続いての古典ホラー作品となる。本作では監督はヴィクター・フランケンシュタインの役を務めたケネス・プラナー氏が兼任している。フランケンシュタインを冠した映像化作品は数あるも原作から大きく翻案された作品が多い中、原作に忠実な映画化という触れ込みであった。
【フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein: or The ModernPrometheus)】
1818年3月11日にイギリスの小説家メアリー・シェリー(1797年〜1851年)が匿名で出版したゴシック小説。18世紀から19世紀初頭にかけて流行した神秘的・幻想的な小説のことを指すゴシック小説は、今日のSF小説、ホラー小説の源流であるとも言われる。「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」も、科学的な思想を背景に着想されていることからSF小説のはしりという評もある。
科学者を志していた青年ヴィクター・フランケンシュタインによって死体を継ぎ合わせて作り上げられた怪物。ヴィクターはその怪物のあまりの醜さや命の創造という禁忌を犯したことを悔いて、放置して故郷に帰ってしまう。人々から怖れられ迫害された孤独な怪物は、伴侶を求めてヴィクターに接触する。しかし、ヴィクターがそれを拒絶したことで復讐に乗り出し、彼の結婚したばかりの妻をはじめ、家族や友人を手にかける。憎悪にかられたヴィクターは怪物と決着をつけるため、怪物を追跡し北へと向かう。
「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」において、ヴィクター・フランケンシュタインが作り出した人造人間には固有の名はなく、単に“怪物”などと呼ばれている。この“怪物”はわずかな時間で言語を習得したり、人間の道徳観を理解するなど高い知能や理性をもっている描写がなされている。しかし、後世、制作された映像化作品や創作の中では、怪物は知能が低く、生まれつき凶暴な描写がなされたりした。1931年のユニバーサル・ピクチャーズ制作の映画『フランケンシュタイン』では、厳つい外見の大男で、皮膚を継ぎ合わせた縫い目が随所にあったり、ボルトが突き出していたりといった外見で、これが今日のフランケンシュタインのビジュアルイメージとして定着した。また、時を経て、フランケンシュタインは怪物自身を指す呼称として定着していった。
また、「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」に由来する言葉として「フランケンシュタイン・コンプレックス」という言葉ある。神に成り代わり新たな生命を創造することへの憧れと、そうやって生み出された存在が人間に反逆するような災厄が起こるのではないかという恐怖が入り混じる、複雑な心理を表した言葉で、SF作家のアイザック・アシモフ(1920年〜1992年)が名付けた。アイザック・アシモフは、フランケンシュタイン・コンプレックス――ロボットに対する潜在的な恐怖を解消する安全装置としてロボット三原則と生み出したと言われる。
【ストーリー】
1794年。北極点に向ける探検隊を乗せた船が、氷原で一人の男を救出する。男の名はヴィクター・フランケンシュタインといった。ヴィクターは船長のウォルトンに事のあらましを語り始める。
スイスはジュネーブの裕福な家に生まれたヴィクター・フランケンシュタインは、母親を失っていらい生命の創造を求めて医学の道に進む。ドイツのインゴルシュタットの大学で異端視されていたウォルドマン教授に師事するようになる。大学でヴィクターが没頭する生命創造の研究は馬鹿にされ、同じように生命創造の研究をしていたウォルドマン教授からも苦言を呈されるが、ヴィクターの情熱が収まることはなかった。ある日、ウォルドマン教授が殺害される事件が起こる。ウォルドマン教授の残した研究ノートをもとに、教授を殺した男の死体や他の死体をつなぎ合わせて一つの体を作り、教授の脳を入れる。実験は成功し、死体は甦る。しかし、自分の行いのおぞましさに恐れをなし、蘇った死体――クリーチャーを放置して学友のヘンリーと共に、婚約者のエリザベスが待つ故郷に逃げ帰る。
クリーチャーはその醜い容姿と人並外れた怪力から人々に嫌われ追い立てられ、町はずれの農家の小屋に隠れ住むようになる。そこで、その農家の親子の会話を聞いて言葉を覚え、ヴィクターがクリーチャーの服の中に入れていた日記を読むようになる。農家の親子が困っていると知ればこっそりと農作物を収穫して家の前に置いたりもした。そんなある日、農家に金貸しの取り立てがやってくる。盲目の老人に虐待を始めた取立人を追い払ったクリーチャーに対して、老人は感謝し、少しの間話をする。しかし、帰ってきた家族は、クリーチャーが老人を傷つけようとしていると思い追い出してしまう。農家の住民は逃げるように家を去ってしまう。クリーチャーは日記に書かれていた造られた神玄が自分であることを悟り、自らの境遇を嘆き悲しみ、農家に火をつけてヴィクターへの復讐を誓う。
ジュネーブへ帰ったヴィクターは、エリザベスとともにクリーチャーのことを忘れて穏やかな生活を送っていた。しかし、ヴィクターの弟が殺害され、その犯人と疑われた使用人のジャスティンがリンチされ吊るされてしまう。悲嘆するヴィクターの前にクリーチャーが現れ、自分の伴侶を造ることを求める。クリーチャーはジャスティンの死体を持ってきて人造人間を造るように要求するが、ヴィクターは拒絶する。怒り狂ったクリーチャーは、ヴィクターから最愛の人を奪うことを告げて去っていく。ヴィクターとエリザベスの結婚が行われたその夜、厳重な警戒の中現れたクリーチャーの恐るべき力によって、エリザベスは殺害されてしまう。エリザベスを蘇らせるため、再び生命創造の禁を犯したヴィクターだったが、そうやって生まれた女クリーチャーは自ら命を絶ってしまう。すべてを失い残ったのはクリーチャーへの憎悪だけになったヴィクターは、クリーチャーを追って北に向かう。
【感想】
原作に忠実な作品という触れ込み通り、孤独に苛まれ暴走していくクリーチャーの哀しみ、憎悪、苦悩がよく伝わってくる良作だったと思う。原作を知らない人からすると、これまでにないフランケンシュタイン像と感じるかもしれない。これだけ深い人間ドラマを描いた小説が、のちの翻案された映像化作品では凶暴なモンスターを描いた怪奇作品になってしまったのか不思議だ。しかし、ただただ原作に追従した作品ではなく、原作にはないウォルドマン教授の話や女クリーチャーの壮絶な最期を描くことで作品に深みを持たせている。
気になるのはロバート・デニーロが演じたクリーチャー。デニーロは公称で175pということで決して大柄な人ではない。個人的にはフランケンシュタインの怪物は、2mかあるような大男であってほしかったと思う。しかし、恐ろしさよりも哀愁を感じるクリーチャーの醸し出す存在感は、ロバート・デニーロだからこそ、とも思える。