ミュンヘン(2005年)
DATE
MUNICH/アメリカ
監督 : スティーヴン・スピルバーグ
原作 : ジョージ ジョナス『
標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録(新潮文庫、新庄 哲夫(翻訳))』
<主なキャスト>
アヴナー : エリック・バナ
スティーヴ : ダニエル・クレイグ
カール : キアラン・ハインズ
ロバート : マチュー・カソヴィッツ
ハンス : ハンス・ジシュラー
……etc
【作品解説】
スティーブン・スピルバーグ監督作品。1972年にミュンヘンオリンピック開催中に起こったイスラエル選手団殺害事件と、その後のモサド(イスラエル諜報特務庁)による報復を、ジョージ・ジョナスのノンフィクション小説を原作に描いた映画。日本では2006年2月に公開された。
イスラエル側の暗殺団を主役に据えつつも、劇中に登場するパレスチナ人を通してパレスチナの主張も盛り込んだ作りになっており、決して片方だけに軸足を置いた一方的な見方で描いた作品ではない。その結果、イスラエルとパレスチナ双方から批判を浴び、スピルバーグ監督作品の中でも最も物議をかもした作品となった。第78回アカデミー賞で作品賞や監督賞など5部門でノミネートされたが受賞は逃した。
【ミュンヘンオリンピック イスラエル選手団殺害事件(1972年)】
1972年9月5日。西ドイツの都市ミュンヘンでのオリンピック開催中に事件は発生した。イスラエル選手団を狙ってパレスチナ武装組織、黒い九月のメンバー8名が選手村に侵入。抵抗した選手やレスリングのコーチの2名を射殺し9名を人質とし、犯行声明を出した。黒い九月はイスラエルに拘束されているパレスチナ人などの解放を求めた。黒い九月が解放を要求した中には、日本赤軍の岡本公三やドイツ国内で収監中のドイツ赤軍幹部なども含まれていた。イスラエル側は黒い九月の要求を拒否した。イスラエルから事態解決のためにイスラエル国防軍の特殊部隊を派遣するという提案があったが西ドイツは拒否した、とも言われる。
状況の把握のために「イスラエルと交渉中」と犯人を騙して時間稼ぎを繰り返していた西ドイツだったが、武力による解決以外の選択肢は無くなっていた。しかし、対応に当たっていた地元警察の指揮官も作戦に従事した警察官も高度な対テロ作戦の専門訓練を受けたこともなかったという。さらに、情報が不足しているうえに、マスコミがテレビやラジオで実況中継し続けたため、警察側の動きは犯行グループに筒抜けだった。交渉の末、黒い九月側はエジプトの首都カイロに飛行機で脱出することを要求した。警察側は、空港まで移動するヘリコプターを用意し、ヘリに移動する途中か空港で人質を解放する作戦を立てた。しかし、対テロに関しては素人同然の地元警察の装備の不足や様々な不手際などが重なり、空港で銃撃戦に発展した。その結果、黒い九月側はリーダーを含め5名が死亡し3名が逮捕された。逮捕された3名は、その後発生したハイジャック事件で人質と交換で解放されることになる。人質は9名全員が死亡、警察官にも1名の死亡者が出る凄惨な結末を迎えた。この事件は対テロ特殊部隊の国境警備隊第9グループ(GSG-9)創設の契機となった。
イスラエルはこれに対して報復を開始。パレスチナゲリラの基地に空爆を行い数百人の犠牲者が出たとされる。また、イスラエル諜報機関モサドによる“神の怒り作戦”が実行に移され、ミュンヘン事件の首謀者や関わった(とされる)人間が殺害され、黒い九月もその報復としてモサド工作員やその協力者を暗殺した。ヨーロッパで一般市民が殺害され、その実行犯としてモサド工作員が逮捕されたため、事態が表に出ることになった。神の怒り作戦についてイスラエル、パレスチナ双方とも正式な発表は行っていないとされる。
【ストーリー】
1972年――。西ドイツのミュンヘンで開催されている夏季オリンピックの最中の9月5日、選手村のイスラエル代表宿舎にパレスチナ過激派組織「黒い9月」のメンバー8人が侵入。選手とコーチを殺害し、9人の選手を人質にする事件が発生する。イスラエルに拘束されている同胞の解放を求める黒い9月のメンバーに対し、西ドイツ警察は強行突入による人質救出を試みるが、銃撃戦となり人質全員が死亡する惨事となる。
この事態を受けてイスラエル政府は報復を決断。パレスチナゲリラのアジトを空爆し、「神の怒り」と名付けられたテロ首謀者11人の暗殺作戦を決行する。そのリーダーに選ばれたアヴナーは、身重の妻に何も告げずにヨーロッパに向かう。アヴナーのチームに提供された暗殺対象者リストの大半はパレスチナ解放機構(PLO)の構成員や協力者。アヴナーはフランス人の情報屋ルイたちの協力を得て最初の標的である翻訳家を見つけて射殺する。最初の暗殺には成功するものの、電話機に爆弾を仕掛けた次の暗殺では危うく標的の娘を爆殺しかけ、その次の標的はホテルのベッドに爆弾を仕掛けたものの威力が大きすぎて隣室のアヴナーや無関係のカップルを巻き込んで殺しかけてしまう。その次の標的はレバノンのいるという情報を得たものの、アヴナーのチームはヨーロッパでの任務だったため、軍を差し向けるという上官のエフライムと対立することになったが、最終的にアヴナーのチームが暗殺を実行することになった。
その間、イスラエルに帰国したアヴナーは妻の出産に立ち会い、彼女にニューヨークに行くように告げる。仲間たちの中では、情報屋のルイを信用できるのかという疑問が湧き上がっていた。ルイは通称「パパ」という自分たちのリーダーに会わせる。パパはアヴナーたちの“報復”に理解を示しつつ、イスラエル政府に自分たちから得た情報を流すことは赦さないと警告する。次の標的はギリシアのアテネに向かうが、そこで標的たちと同じ部屋で鉢合わせする。イスラエルに故郷を追われた憎しみを語る標的たち。その暗殺に成功するものの、ソ連の諜報機関KGBのエージェントを巻き込んでしまう。自分たちの正義に疑問を抱き始めるアヴナー。それでもさらなる報復を続けるアヴナーたちだったが、今度は報復チームのメンバーが次々と命を落としていく。
【感想】
『シンドラーのリスト(1993年)』『アミスタッド(1997年)』『プライベート・ライアン(1998年)』などの社会派の映画も数多く撮っているスピルバーグ監督の作品だけに、映画自体はしっかりした出来。銃撃や爆破場面など、ノンフィクションが原作とは思えないスリリングな演出が印象的。正義の名を借りた狂気と、その現実に気付き苦悩する姿が描かれている。改めて、中東問題の根深さを見せつけられた作品でもあった。モサドのリーダーの苦悩――そこで描かれるのはハリウッド的なヒーローでも、フィクションの中にしかいないような強靭な精神と肉体で任務を遂行していく世界最強の工作機関モサドの工作員ではない――と報復の連鎖の帰結という深遠なテーマを正面から扱った作品と感じるだけに、娯楽大作ではあるが腹を据えて観たい映画である。
報復の連鎖は何も生まないという考え方を非難する気はない。しかし、彼らような任務を帯びた工作員が不要だという考え方に立つことが素直にできないのも本音ではある。もしも、ミュンヘン事件のような事件が日本で起きたとき、日本の警察(あるいは自衛隊が)犯人を拘束、あるいは射殺した場合、検挙された仲間の奪還を狙ってテロ組織は民間人を巻き込んだ行動に出ることは十分にあり得る。あるいは、テロという形での報復がある可能性も考えられるだろう。1977年のダッカ事件では、日本国政府は超法規的措置として600万ドルの身代金を支払い、殺人犯、テロリストを国外に解き放ち、日本はテロリストまで輸出すると国内外から非難された。それらの反省から、日本でも特殊部隊の創設の必要性が検討され、東京・大阪の機動隊にSAT(特殊急襲部隊)の前身となるチームが創設された。報復のための報復は何も生まない。しかし、そういった実効制圧力の整備もまた、平和への渇望から生まれているものなのは否定できないのではないだろうか。