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ハドソン川の奇跡(2016年)





DATE

Sully/アメリカ
監督 : クリント・イーストウッド

<主なキャスト>

チェスリー・“サリー”・サレンバーガー : トム・ハンクス
ジェフ・スカイルズ:アーロン・エッカート
ローリー・サレンバーガー:ローラ・リニー
チャールズ・ポーター:マイク・オマリー
                  ……etc

目次
『ハドソン川の奇跡(2016年)』の作品解説
キーワード『USエアウェイズ1549便不時着水事故(2009年)』
『ハドソン川の奇跡(2016年)』のストーリー
『ハドソン川の奇跡(2016年)』の感想


【作品解説】

 2009年1月に起こった実際の航空機事故を、クリント・イーストウッド監督により映画された作品。イーストウッド監督は、この映画のために実際のエアバスを購入したり、救助ボートも実際に使用されたものと同じものを使ったり、事件に関わった人に協力を求め実際に出演した人も多くいるなど、徹底的にリアルを追求したという。原題のSullyは、困難な状況の中、全員生還の立役者として一躍時の人となったチェスリー・サレンバーガー機長のニックネームから。この物語は、奇跡と呼ばれた事故の裏で、英雄と呼ばれた男が抱えることになった苦悩と、知られざるその後の物語である。




【USエアウェイズ1549便不時着水事故(2009年)】

 2009年1月15日午後3時26分、ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ(現アメリカン航空)1549便(エアバスA320-214)が、ニューヨーク・ラガーディア空港を飛び立った。機長のチェスリー・サレンバーガーは空軍の戦闘機パイロットとしてキャリアをスタートし、1980年に退役したのちUSエアウェイズ社で経験を積んできたベテランであった。離陸直後、USエアウェイズ1549便はカナダガンの群れに遭遇した。複数のカナダガンを吸い込んでしまった1549便は、左右の両エンジン同時のバードストライクというレアケースによって、両エンジンのフレームアウト(停止)という事態に陥った。これにより、飛行高度の維持ができなくなった。チェスリー・サレンバーガー機長は、空港管制に非常事態を宣言した。ラガーディア空港に戻るか、進行方向にあるテターボロ空港へ向かうかをまず考えたものの、高度も速度も全く足りなかった。このままでは墜落すると判断した機長は、ハドソン川への緊急着水を決断する。副機長が、最後までエンジン再起動を試みるものの、エンジンが蘇ることはなかった。

 そのまま高度が下がればレーダーから焼失してしまうため、空港管制は周囲の航空機に1549便を目視にて追跡するよう要請。観光ヘリ2機がこれに応じた。ジョージ・ワシントン・ブリッジを回避した1549便は高度を下げていった。離陸から降下までわずかな時間だったため、乗客には着水間近に「衝撃に備えて」と伝えるのが精いっぱいだったという。そんな状況だったにも関わらず、アテンダントたちは状況を察して乗客に最善の指示を出したと、後に機長は日本のテレビ番組でも語っている。

 午後3時31分、ハドソン川に着水した。機長の卓越した操縦技術と、進入方向と川の流れが同じだったことが機体への衝撃を和らげたことなどの幸運が重なり、衝撃で機体が分解してしまうことが避けられ、迅速な脱出が可能となった。しかし、着水直後から機内は停電して暗くなり、さらに浸水が始まった。真冬の冷たい水と身を切るような寒さ、混乱と恐怖の中、機長をはじめとした乗員たちは決められた手順に従い冷静に対応した。機長は逃げ遅れた乗客・乗員がいないか確認したうえで最後に脱出した。周辺は観光船や水上タクシーの発着場に近く、アメリカ沿岸警備隊やマンハッタン消防局の船舶が停泊する港にも近く、すぐさま近くの観光船や沿岸警備隊や消防の救助の船が駆け付けた。これは決して偶然ではなく、そこに着陸させたら迅速な救助が期待できるという機長の判断だったという。機体は一時間後に完全に沈没したが、乗員乗客155名全員が無事共助され生存した。

 事故発生から不時着水まで3分30秒ほど。その模様は、メディアのみならず、社会に浸透しつつあったSNSなどネットを通じて世界中に拡散され、人々はハドソン川の奇跡と讃え、機長は“英雄”となった。バラク・オバマ次期大統領は、機長と電話で話してその行動を称え、1月20日の大統領就任式にも招待した。サレンバーガー機長は10月に1549便と同じ航路で現場復帰したが、その際、同じ便に乗り合わせた乗客からは惜しみない拍手が送られたという。しかし、本人は自身が英雄と呼ばれることに対して「あれは奇跡ではない。普段の訓練の通りに行動しただけ。私は英雄ではない。当然のことをしたまで」と語ったと伝えられる。


【ストーリー】

 2009年1月15日。午後3時30分ごろ――。USエアウェイズ1549便不時着水事故が発生する。墜落必至の状況の中、機長の操縦技術と乗員の適切な判断、周囲の観光船や沿岸警備隊などによる迅速な救助や、多大な運にも恵まれ、乗員乗客155名全員が生還した大ニュースを市民はハドソン川の奇跡と呼んで讃えた。その決断を下したチェスリー・サレンバーガー機長――サリーは、英雄と呼ばれ一躍時の人となった。しかし、サリー自身は、あの日の決断は本当に正しかったのかと自問し、市街地に墜落する夢を何度も見ていた。

 国家運輸安全委員会(NTSB)の事故調査委員会による調査が始まると、完全に停止していたはずの両のエンジンのうち片側が微力ながら生きていた可能性が出てきた。さらに、バードストライクが発生した直後に引き返していたなら、出発地の空港にも、近隣の空港にも飛行することが可能だったと、コンピューターのシミュレーションが出されたことで風向きが変わってくる。事故調査委員からは、サリーの人間性に疑問を加えるような侮辱的な発言まで飛び出す始末だった。サリーや副機長の反論はするが、一部のマスコミからは「乗客を無意味に危険に晒した無謀な判断」と批判され、一転して「疑惑の人」となってしまう。事故調査委員会の公聴会で自らにかけられた疑惑を晴らすべく、サリーは同僚に、人間のパイロットによるシミュレーションを公聴会の場でライブ中継してもらうように依頼する。人間とコンピューターでは必ずその結果に違いが出るはず。サリーは自身のパイロット人生をかける決意をして公聴会に挑む。


【感想】

 感動の実話を基に描いたこの作品は、墜落か否かというギリギリのシチュエーションをリアルに描いた秀逸な航空サスペンスでもあるし、機長の判断は英断だったのか無謀だったのかという問いを軸に展開される社会派サスペンスでもある。高圧的な事故調査委員の態度は見るからに不快で、最後にサリーには不時着水しか選択肢がなかったことが明らかにされる場面では溜飲が下がる。もっとも、ハドソン川に沈んだ航空機の資産価値や引き上げにかかる費用、被害にあった乗客への補償や救助にかかった費用など、航空会社や保険会社、公費への損害は膨大なものになるだろう。原因究明に力が入るのも無理からぬこと。そんな相手から、最後に「サレンバーガー機長でなかったら、墜落していた」と称賛の言葉が述べられる。それに対し、サリーは「それは違う」と答える。副機長やアテンダント、整然と行動した乗客や迅速に救助に駆けつけてくれた人たち。「皆が力を合わせて助かった」という言葉は印象的だ。確かにあの場に英雄はいなかったのかもしれない。いたのは、己の任務を全力で遂行したプロフェッショナルだったのだと思う。なお、サレンバーガー機長は、自著の中で事故調査委員会の調査では、不時着水の判断が疑われることはなく、取り調べは型通りのものだったと述べている。