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アレクサンドリア(2009年)





DATE

AGORA/スペイン
監督 : アレハンドロ・アメナーバル

<主なキャスト>

ヒュパティア : レイチェル・ワイズ
ダオス : マックス・ミンゲラ
オレステス : オスカー・アイザック
テオン : マイケル・ロンズデール
キュリロス : サミ・サミール
            ……etc

目次
『アレクサンドリア(2009年)』の作品解説
キーワード『ヒュパティア(350年頃〜415年)』
『アレクサンドリア(2009年)』のストーリー
『アレクサンドリア(2009年)』の感想


【作品解説】


 日本では2011年3月に劇場公開されたスペイン映画。4世紀、学問の中心地だったエジプト・アレキサンドリアを舞台に実在した女性天文学者、ヒュパティアの気高い半生を描いた作品。同時に、狂信的宗教勢力が合理主義者を弾圧し排斥していく恐ろしさを描いている。




【ヒュパティア(350年頃〜415年)】


 ヒュパティアは4世紀――東ローマ帝国の支配下にあったエジプトで活動したギリシア系の女性数学者、天文学者、哲学者、教育者である。史料に当たることができる最も古い時代の女性科学者と評されることもあるらしい。しかし、彼女に関する史料は少なく、生誕年に関しても、紀元350年頃から370年頃の間と言われ、はっきり確認できない。すぐれた学者でありアレキサンドリア図書館の最後の所長となったアレキサンドリアのテオンの娘であった。父から学び、数学や哲学に関する父親の著作や講義の手助けをしていたと考えられている。やがて天文学の研究に勤しみながら、アレクサンドリアの新プラトン主義哲学の学校でプラトンやアリストテレスの思想について講義を行った。彼女の学識と妥協を許さない研究姿勢は、アレクサンドリアでも一目置かれ、知恵を求める司法や政治家の訪問を受け、尊敬を集めていたという。彼女は容姿にも優れ熱を上げる男性も多かったが、知的関心への興味の方がずっと大きかったらしく、生涯独身だったと伝えられる。

 313年にコンスタンティヌス大帝が出したミラノ勅令によってキリスト教が公認され、信仰の自由が認められていたが、キリスト教の教義は定まっておらず、様々な解釈による派閥が出来ていた。帝国領内にはローマの古来からの宗教や中央アジアや西アジアなどから入ってきた異教の信仰も残っており、かえって混乱が生じていた。380年。時のローマ皇帝テオドシウス(在位379年〜395年)は、当時勢力を伸ばしていたキリスト教を国教とする。翌年、キリスト教のうちアタナシウス派の唱える「父(神)と子(イエス)と聖霊」は本質において同一であるとする三位一体論を完成させ、アタナシウス派をキリスト教の正統とすることが決められた。392年に、アタナシウス派を除いたキリスト教や全ての異教の祭礼や供養が禁止された。ローマ皇帝の後ろ盾と承認を得たキリスト教アタナシウス派の狂信者たちは異教徒たちへの弾圧や宗教施設の破壊に血眼になり、アレクサンドリアには憎悪が蔓延し暴力が渦巻いた。キリスト教徒たちにとっては異教徒の学問研究自体が異端であり破壊の対象であった。アレクサンドリア図書館もキリスト教徒によって破壊され、70万冊ともいう膨大な書物のうちヒュパティアたちの学者によって持ち出されたのはほんのわずかで、何世紀にもわたる知の積み重ねは失われた。ヒュパティアの弟子たちもキリスト教へ改宗していった。

 それでも、ヒュパティアは改宗せず、多神教徒であり続けた。空っぽになった図書館で研究を続ける彼女は、学術的であることにこだわり神秘主義を排除する姿勢にも妥協しなかった。学問は科学であると信じ、キリスト教の「奇跡」を否定するヒュパティアは、当時の――現代で言えば反知性主義としか言いようのないキリスト教徒からしたら許されざる異端であり、「魔女」であった。アレクサンドリアでの宗教的ないざこざは日に日に深まっていく。ローマ帝国のエジプト総督オレステスは秩序を保とうと試みる。アレクサンドリアのキリスト教徒の指導者であったキュリロス司教は、強引な異教徒への迫害や破壊を行った。両者は緊張関係にあった。オレステスがヒュパティアと親交があり、彼女の講義に出たことがあったこともキリスト教徒たちの憎悪を掻き立てた。しかし、仮にもローマ帝国の総督であるオレステスを直接攻撃して排除することは難しく、キリスト教徒たちの憎悪の標的はヒュパティアへとむけられた。

 415年。ヒュパティアは狂信的なキリスト教徒たちによって殺害される。後世の歴史家、エドワード・ギボンは、その最期を、「四旬節のある日、馬車で学園に向かう途中だったヒュパティアは総司教キュリロスらによって拉致され、教会に連れ込まれ、裸にされて牡蠣(かき)の貝殻で生きたまま皮膚と肉を削そがれて息絶えた」と記した。その上、キリスト教徒たちは「彼女の遺体をバラバラにし、往来に掲げて見世物とし、市門の外で焼いた」という。5世紀に入ると異教徒はローマ皇帝の勅令によって次第に公職から追われていった。異教徒の知識人は、ひっそりと身を引くか、キリスト教圏外の国々へ流れていた。ヒュパティアの死を契機に、エジプトでの異教的な学問研究の火は消えることになった。


【ストーリー】


 西ローマ帝国が崩壊しようとしていた4世紀末。エジプト・アレクサンドリアには、ギリシア時代から続く“図書館”があり、人々は古来の神々を信仰して、今なお繁栄を続けていた。しかし、この町にも、ユダヤ教とキリスト教が勢力を拡げつつあった。天文学者ヒュパティアは美貌と知性に恵まれた優秀な天文学者で、多くの弟子達から慕われていた。中には彼女に好意を抱いている者もいたが、真理の探究に人生を捧げることを決めていたヒュバティアはこれを拒絶する。また、彼女に仕える奴隷のダオスも彼女に好意を寄せる1人だったが、身分の違いゆえに、それを言葉にすることはできなかった。

 ある時、キリスト教徒によって古代の神々が侮辱される事件が起こる。報復を主張する者たちに、ヒュパティアはローマの長官に訴えるように主張するが今のローマ皇帝はキリスト教徒。決定権を持つのはヒュパティアの父で図書館長のテオン。このままではらちがあかないと見たテオンは、報復に賛成する。しかし、今のキリスト教徒の勢力は、彼らの想像をはるかに超えていた。図書館に逃げ込んだ古来の神々を信仰する者たちに、ローマ皇帝が下した採決は、図書館に立てこもる者たちの罪は問わない代わりに図書館を明け渡すようにというものだった。キリスト教徒がなだれ込んでくれば、幾世紀にも渡って収集されてきた人類の叡智が破壊されてしまうのは確実。わずかな時間にわずかだけでも資料を持ち出そうと慌てたヒュバティアは、ダオスに侮辱的な言葉を投げかけてしまう。このことをきっかけにダオスとヒュバティアは決別してしまう。

 それから時を経て、彼女の弟子たちも、次々とキリスト教に改宗し出世の道を歩んでいく。その中の、彼女の元弟子で彼女に好意を持っていたオレステスはアレクサンドリアの長官になっていた。アレクサンドリアの支配を目論むキリスト教の指導者であるキュリロス主教は政敵であるオレステスの失脚を狙い、その弱点がヒュバティアにあることを見抜く。キリスト教徒の陰謀に巻き込まれようとしていたヒュバティアは、私設の図書館で、宇宙の真理を解き明かすべく、ただ黙々と学問の探究にいそしんでいた。


【感想】


 古代の街並みを見事に再現した映像は素晴らしく、上質の歴史映画だと感じる。レイチェル・ワイズが知的で美しく凛とした女性天文学者を見事に演じている。やはり圧巻なのは、キリスト教徒達によって図書館が破壊されていくシーン。上空から映し出された、暴徒と化したキリスト教徒の大群がなだれ込み、文化の極みを破壊していく様は、同時に、現代にいたるまで途切れることなく続いてきた宗教対立の残酷さと愚かさを凝縮している。……というより、それがこの作品の本当のテーマなんじゃないかと思う。古代歴史物の体裁を取りながら、宗教の不寛容さがどれほど多くの血を流して来たか、宗教と信徒を自分の利益のために利用しようとする人間と、それを疑いもせずに盲目的に従い凶行に走る人間の何と恐ろしいことか……。それは時代が変わっても変わらないものなんだろうと思う。