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アレキサンダー(2004年)





DATE

Alexander/アメリカ
監督 : オリヴァー・ストーン

<主なキャスト>

アレキサンダー : コリン・ファレル
オリンピアス : アンジェリーナ・ジョリー
フィリッポス : ヴァル・キルマー
プトレマイオス : アントニー・ホプキンス
ヘファイスティオン : ジャレッド・レトー
ロクサネ : ロザリオ・ドーソン
              ……etc

目次
アレキサンダー(2004年)』の作品解説
キーワード『アレクサンドロス大王(紀元前356年〜紀元前323年)』
アレキサンダー(2004年)』のストーリー
アレキサンダー(2004年)』の感想


【作品解説】

 日本では2005年2月に劇場公開されたアメリカ映画。紀元前4年のマケドニア王アレクサンドロス大王――ドイツ語風の読みでアレキサンダー大王の一代記。オリヴァー・ストーン監督が、総額200億を費やし、壮大なスケールで描く歴史スペクタクル作品。若くして広大な帝国を築いた歴史的英雄としてのアレキサンダーとしてのみではなく、父や母との複雑な関係や戦いの日々など人間としてのアレキサンダーに焦点を当てて描いている。




【アレクサンドロス大王(紀元前356年〜紀元前323年)】

 日本ではドイツ語風の「アレキサンダー大王」の呼称で知られる古代マケドニアの王、アレクサンドロス3世(紀元前356年〜紀元前323年)。その偉大な功績から時に大王と称されたアレクサンドロス3世は、ポリスと呼ばれる諸都市国家が乱立する古代ギリシアの世界を統一し、強大な勢力を誇っていたペルシア帝国を滅ぼし、ギリシア・エジプト・オリエント世界にまたがる大帝国を築いた。アレクサンドロス3世は歴史上類を見ない軍事指導者であり、彼が築いた大帝国は古代ギリシアと古代オリエント世界を融合させ、ヘレニズムと呼ばれる新たな文明を生み出した。歴史上世界に最も影響を与えた人物の一人として名が挙げられる。

 紀元前356年にアレクサンドロスは生まれた。歴史家のプルタコスは、アレクサンドロスが生まれた日にエフィソスのアルテミス神殿が焼失したのは、女神が王子の分娩を助けるのに忙しく自分の神殿にかまっていられなかったからだと記している。父はマケドニア王のフィリッポス2世であった。マケドニアは古代ギリシアの辺境の地であり、長らく有力貴族による権力闘争が続いてきた地だった。優れた軍事指導者だったフィリッポス2世はマケドニアの統一を果たすと、ポリスと呼ばれる諸都市国家が乱立していた古代ギリシアに支配者として君臨した。しかし、フィリッポス2世はポリスとの摩擦を警戒し、マケドニアと諸ポリスはあくまでも同等の立場として振る舞い、ギリシアの軍を統べる総司令官であるという姿勢に終始した。

 フィリッポス2世の慎重で狡猾で本心を見せない人物像と、アレクサンドロスのどこか夢想的で傲慢な姿は、父子でもずいぶん違うという印象を受ける。アレクサンドロスの軍才は間違いなく父から受け継いだものだっただろうが、その性情は、母のオリュンピアスの性質を受け継いだものだったのだろう。エペイロスの王女だったオリュンピアスは激情的な性格で、アレクサンドロスが生まれた後はフィリッポス2世に疎まれたとされる。アレクサンドロスはこの母に非常な愛情を持って接していたと伝えられる。

 居並ぶ勇者が誰一人乗りこなせなかった暴れ馬をアレクサンドロスだけが乗りこなしたとか、父王の外国での戦果を聞くにつれ、「私が征服する土地がなくなってしまう」と嘆いたとか、さまざまな逸話が残る少年時代を過ごしたアレクサンドロスは、体力も学力もずば抜けていた。フィリッポス2世はアレクサンドロスに最高の環境で学習させるためにギリシア最高の教師を用意した。その中には、西洋最大の哲学者の一人とも言われるアリストテレスもいた。アレクサンドロスは彼らから学問や思想を学び、16歳でマケドニアの摂政となった。また、紀元前338年のカイロネイアの戦いで初陣を飾ったアレクサンドロスは、左翼で騎兵を率い勝利に貢献し、フィリッポス2世がギリシアの支配者となるのに大いに貢献した。

 フィリッポス2世は、東はインダス川流域、西はエーゲ海沿岸にエジプトと大陸をまたがる強大な勢力を持っていたペルシア帝国への侵攻を企んでいた。ペルシア帝国はギリシアが団結することで大きな脅威になることを警戒し、軍事侵攻を行ったり、経済的な圧力をかけたりしていたためである。しかし、紀元前336年、アレクサンドロスが20歳の時に、フィリッポス2世は配下の貴族の凶刃に倒れた。アレクサンドロスは、内外から若輩と侮られていたが、素早く葬儀を執り行いフィリッポス2世の正統な後継者であることを証明すると、暗殺に関わった貴族を処刑し、反乱の姿勢を見せた諸ポリスを武力でねじ伏せ、ギリシアの再統一を果たした。

 そしてフィリッポス2世が果たせなかったペルシア侵攻を実行に移した。この時代のペルシアの王朝はオリエント文化の集大成ともいうべきアケメネス朝ペルシア帝国であった。その頂点に君臨するのは広大な領土といくつもの民族を束ね、無尽蔵ともいえる富を持つ「王の王」ダレイオス3世である。しかし、ペルシア軍は異民族の寄せ集めであり士気は低く、継線能力も弱かった。対してアレクサンドロスは類を見ない軍事指導者であり、彼が率いるマケドニア軍はフィリッポス2世の頃から鍛え上げられた精強な兵の集団である。まさしく、当時世界最強の軍隊と言っても過言ではなかった。しかし、マケドニアの軍は財政的に余裕のない中での出征である上、ペルシア領内では充分な補給もできない状態にあった。マケドニア軍の弱点に気づいて、直接決戦を避けつつ敵の補給を発つ焦土作戦を提案した実戦経験豊富な将軍もいたという。しかし発言力が弱く、実権を握るペルシア貴族が持久戦や焦土作戦を嫌がり、野戦の天才であるアレクサンドロス率いるマケドニア軍と正面から戦うよりなくなってしまう。マケドニア軍は紀元前334年のグラニコス河の会戦での勝利を皮切りに、次々にペルシアの都市を陥落させていく。

 ついにダレイオス3世は一説では60万とも言われる大軍を率いて紀元前333年、イッソスの会戦でアレクサンドロスと正面から激突する。しかし、アレクサンドロス率いるマケドニア軍の攻勢の前に、ついに戦場で戦っている兵士も、戦場に連れてきていた家族も置き去りに逃亡した。アレクサンドロスは、捕らえたダレイオス3世の家族を丁重に扱うことで王者の寛容さを示した。ダレイオス3世の財宝の一部を手に入れたアレクサンドロスは自身が用意した軍資金など比べ物にならないほどの財宝を目の当たりにし、素直に驚嘆したと伝えられる。アレクサンドロスはその晩年、ペルシア的な専制君主的な統治を志向して、ペルシア王の後継者を宣した。ペルシア王の装束を纏い、その儀礼などを取り入れ、ペルシア人を積極的に登用し、ペルシア人とマケドニア人の融合を推し進めた。結果、マケドニア人との間に軋轢を生むことになったが、それはしばらく先の話である。アレクサンドロスは紀元前331年のガウガメラの会戦で再びダレイオス3世を敗走させ、その後ダレイオス3世は配下の者に殺害され、ペルシア帝国はその歴史に幕を下ろした。

 アレクサンドロスが父のフィリッポス2世の頃からの宿願であったギリシアをペルシア帝国の圧力から解き放つ……という目的は達成された。それ以降はインドを目指して東方遠征を開始し、侵略のための侵略、征服のための征服を繰り返す。その過程でアジアのソグドの姫のロクサネとの結婚があった。アレクサンドロスは、東方遠征の中で父王のころからの忠臣だったパルメニオンとその息子を殺害した。自らをゼウスの息子と称するようになり、周辺にはイエスマンばかりが配置されるようになった。御用史家だったカリステネスも、アレクサンドロスの決定を批判し処刑された一人であった。カリステネスはアリストテレスの甥であった。アレクサンドロスはカリステネスの思い上がりはアリストテレスの責任だと考え、アリストテレスに復讐まで考えたと伝えらる。アリストテレスは、そのことに非常に落胆し、「アレクサンドロスの創りだした世界に甘んじようというものはいないだろう」と言ったと伝えられている。

 紀元前324年に東方遠征を終え帰国したアレクサンドロスは、さらにアラビアへの遠征の準備を始めた。しかし、その翌年、病気で死亡。一説には蜂に刺された後高熱に見舞われたものであるという。32年の短い生涯であった。アレクサンドロスは大変なカリスマ性を持った人物であり、そのカリスマ性によって兵を率いてきたが、自分と信念を共有できない人間のことは考えに入れていなかった。いや、自身の理想と国民感情の乖離を軽視し、民衆との対話を忘れてしまう、という歴史に名を残す多くの優れた指導者が陥った大きな過ちを、アレクサンドロス大王も犯してしまったのかもしれない。しかし、そのカリスマが失われたわけではなく、高熱で瞬く間に衰弱していくアレクサンドロスの傍らには多くの兵が列をなし、アレクサンドロスはその一人一人に、もはや声を出すことも辛い状態ながら会釈したり手をあげたり瞬きをするなどして、返していたという。その死の間際、誰を後継者にするかを尋ねた側近に、アレクサンドロスは「最も強い者に」と返したと伝えられる。アレクサンドロスが築いた大帝国は、その死後、後継者争いによって4つに分断された。


【ストーリー】

 紀元前3世紀。エジプトのアレクサンドリア。かつて――世界の多くを手に入れたアレキサンダー大王が没して40年が経っていた。その臣下であったプトレマイオスは、その生涯の記録を残すために語っていた。

 紀元前356年――アレキサンダーはマケドニア王フィリッポスと母オリンピアスの間に生まれた。たくましく成長していくアレキサンダーは、ヘファイスティオンたち同年代の友人たちと競い合い、友情を育んでいく。優れた師から学問を学び、一頭の暴れ馬を手なずけ非凡な才を示す。フィリッポスは英雄の壁画の前でアレキサンダーに王の孤独を語る。成長していくアレキサンダーだったが、彼を王にと願うオリンピアスからは妄執にも似た愛情を注がれ、そんなオリンピアスの意を受けたアレキサンダーがいずれ自分の地位を奪いに来ると恐れるフィリッポスからは嫌われていた。そして、全てを力で従わせようとするフィリッポスと、気高く感情的なオリンピアスとは絶えず憎しみ争いあうような関係となっていた。そんな両親を疎んだアレキサンダーはヘファイスティオンとの関係に平穏を見出し、友情を超えた愛情を抱くようになっていく。成長したアレキサンダーの王位継承権が脅かされる出来事が起こる。フィリッポスの愛人が妊娠したのだ。しかし、フィリッポスが暗殺されたために状況は一変し、アレキサンダーは20歳にしてマケドニア王となる。

 アレキサンダーには、フィリッポスが鍛え上げた精鋭のマケドニア軍が残された。フィリッポスを怖れて同盟を結んでいたギリシアの諸都市は、次々と反旗を翻した。この反乱にはペルシアの暗躍もあった。アレキサンダーは愛情深い男だったが、敵に対しては強く怒り容赦なく応じた。テーバイでは数千人を虐殺し、生き残りは奴隷として売り払った。ギリシアを制圧したアレキサンダーはさらに西へと進撃し勝利を重ね、24歳の時にはエジプトを支配し、王となる。いよいよペルシア帝国への遠征が開始される。ギリシアを影から支配しようとするペルシア帝国への遠征はフィリッポスも考えていたことであった。ペルシア帝国の都、パビロンの近くで、ついにペルシアの大軍を率いたペルシアの王ダレイオスと対峙する。兵の数ではマケドニア軍はペルシア軍の数分の一。軍議が紛糾する中、アレキサンダーは敵陣を突破し王の首を直接狙う作戦を立案する。

 戦いは数に勝るペルシア軍が優勢の中推移していく。しかし、別動隊を率いたアレキサンダーは、最善に立って敵陣を突破し、ダレイオスにあと一歩のところまで迫る。恐れを抱いたダレイオスは、わずかな兵を率いて戦場から逃げ去った。追撃しようとしたアレキサンダーだったが、補給部隊を守るため、追撃をあきらめて戦線へと戻った。戦い終わった戦場では多くの負傷者であふれていた。もはや助からない者も多くいて、そういった者はその場で命を絶たれた。アレキサンダーは絢爛豪華な都パビロンへと入城した。25歳の若者が世界を手に入れ、最大の栄光を掴んだ瞬間だった。その3年後、再びアレキサンダーはダレイオスと戦い勝利する。ダレイオスは配下の者に殺され、ペルシア帝国は完全に滅亡する。その間に、アレキサンダーは一つの夢を持つようになっていた。多くの国と民を一つに結び付けたいという東西融合政策の方針のもと、東への遠征を開始するのである。

 アジアへの侵攻に次ぐ侵攻。征服による征服。そんな中、バクトリアの王女ロクサネを王女に迎えるという謎に満ちた行動に出る。アジア人と結婚するという行動に、諸将からも批判が起こる。終わりの見えない遠征と戦いに、軍の中にも不満が満ち始める。その不満は、アレキサンダーへの裏切りという形となる。不穏な動きをする者たちを粛清しながらアレキサンダーの軍団は、東へと進む。厭戦気分が蔓延するマケドニア軍は分裂状態になっていた。しかし、東の果てへとアレキサンダーは到達する。そこで初めて見る巨大の怪物を使う軍団。傷ついたアレキサンダーはバビロンへの帰還を決意する。


【感想】


 英雄としてのアレキサンダーではなく、人間としてのアレキサンダーに迫ろうと、描こうとしているスタンスは個人的には好感が持てる。3時間近い映画の中で、前半の山場であるペルシア軍との直接対決のあたりまでは面白かった。アレキサンダーの幼少期を演じた後半はコナー・パオロの好演や、かずか場面も物凄く、優れたエンターテイメントであったと思う。しかし、フィリッポス2世の暗殺をサスペンスのように描いてみせたり、ロクサネとの結婚を描いたりして冗漫にならないように描いているものの、侵略した征服したのオンパレードになってしまうためか、アレキサンダーの理想が、ペルシアを滅ぼした後は侵略を正当化するための言葉にしか思えなかったからか、ひどく退屈に感じた。

 この映画を観て変革者として歴史に名を残すような人間の多くはエディプスコンプレックスを抱えているという話を思い出した。男児が最も身近な異性である母親を独り占めしたいと考え、父親に敵意を抱く無意識の心理状態。両親に対して複雑な思いを抱きながら成長したアレキサンダー。後半、「名誉のために、栄光のために」という言葉を幾度も繰り返す。それは父であるフィリッポス王を超えたいという感情の表れだったのではないか。ペルシアを滅ぼすことは自分でなくとも、父であっても成し遂げたはずだ。だから自分はもっと大きな栄光を掴むのだ! しかし、どれだけ征服しようが、もはやこの世にいない父を超えることはできない。……というふうに自分は捉えた。より大きな栄光を求めてアレキサンダーが叫ぶ「名誉のために、栄光のために」は戦いに疲れ望郷の念を募らせた兵士たちから離れていく。物語の終わりに側近はこう語る。「だから我々が殺した。そうしなければ、我々が彼の夢に殺されていた」アレキサンダーの求めたものは何だったのだろう、と感じてしまう。