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レジェンド・オブ・エジプト(1999年)





DATE

CLEOPATRA/アメリカ
監督 : フランク・ロッダム

<主なキャスト>

クレオパトラ : レオノア・ヴァレラ
シーザー : ティモシー・ダルトン
アントニー : ビリー・ゼーン
オクタピアヌス : ルバート・グレーブス
                  ……etc

目次
『レジェンド・オブ・エジプト(1999年)』の作品解説
キーワード『クレオパトラ7世(紀元前69年〜 紀元前30年)』
『レジェンド・オブ・エジプト(1999年)』のストーリー
『レジェンド・オブ・エジプト(1999年)』の感想


【作品解説】


 1999年に制作されたアメリカのテレビ映画。当時、新人だったレオノア・ヴァレラがクレオパトラを演じている。日本ではNHKで放送されたこともあり、その際は、「クレオパトラ」の題で放送された。



【クレオパトラ7世(紀元前69年〜 紀元前30年)】


 女王クレオパトラ7世は、ギリシア・マケドニア系のプトレマイオス朝エジプトの最後のファラオ(古代エジプトの王)である。単にクレオパトラといえば彼女のことを指すことが多い。古代エジプトは、長らくアケネメス朝ペルシア帝国に支配されており、マケドニアのアレクサンドロス大王(紀元前356年〜紀元前323年)によってペルシア帝国は滅亡し、その過程でエジプトはアレクサンドロス大王の支配下に置かれた。アレクサンドロス大王の死後、彼が打ち立てた広大な帝国は後継者争いにより分裂する。

 プトレマイオス朝はエジプトの支配権を維持したプトレマイオスによって紀元前305年に建国された。この頃のエジプトでは中央アジアのペルシアに支配された時代を通じてオリエントの信仰とエジプトの信仰が融合した多神教の宗教観が築かれた。経済的にはインド洋と地中海を結ぶ活発な広域交易が大きな利潤をもたらした。地中海沿岸のアレクサンドリアは行政の拠点として、国際都市として発展していく。しかし、紀元前2世紀ごろからエジプトの経済は悪化し、国内では熾烈な権力闘争が繰り広げられるようになり、対外的には地中海に勢力を伸ばすローマの圧力を受けるようになる。

 クレオパトラ7世は紀元前69年にプトレマイオス12世の娘として生まれた。この頃、エジプトは共和政ローマの影響下にあったが、世界有数の穀物の生産地域であり、最も裕福な地であったと推定する歴史家もいる。紀元前51年、父王の死を受けて、18歳のクレオパトラはまだ10歳を過ぎたくらいの弟、プトレマイオス13世と形式的な結婚をして共同で王位に就いた。弟は後見人たちに操られる傀儡の王であった。クレオパトラは数か国語を話すことができる才女であったという。同時に、ギリシア人であったプトレマイオス朝の王の多くはエジプト人を見下して差別的な統治をおこなっていたが、クレオパトラはエジプト語を習得し、エジプト人との宥和政策を進めようとしたという。紀元前48年、共同統治を嫌ったプトレマイオス13世とその後継者によってクレオパトラはアレクサンドリアを追放された。

 同じころ、ローマではユリウス・カエサルとグナエウス・ポンペイウスの対立が起こっていた。ローマに軍を進めたカエサルに対し、ローマ市から逃れたポンペイウスは、ギリシアを味方につけカエサルに戦いを挑んだ。最終的にカエサルに敗れたポンペイウスはエジプトを頼って逃れるが、カエサルとローマを敵に回すことを恐れたプトレマイオス13世と後見人たちによって殺害された。

 ポンペイウスを追ってエジプトに来たカエサルは、ポンペイウスの死を知って嘆き、怒り、エジプトの統治体制に疑問を抱いた。クレオパトラは密かにカエサルに接近する、聡明で機知にとんだクレオパトラに興味をもったカエサルは、姉弟の争いの仲介をする名目でアレクサンドリアに留まることにした。クレオパトラが宮廷に戻り政務の実権を握ることを恐れたプトレマイオス13世の後見人たちは、カエサルとクレオパトラを襲撃し、戦争が起こる。この戦いの末、カエサルはプトレマイオス13世を戦死させ、クレオパトラはエジプトの実権を握る。クレオパトラは紀元前47年にカエサルとの間にカエサリオンを産んだ。

 紀元前46年6月にエジプトを発ったカエサルはローマに凱旋する。翌年、ローマに呼び寄せられたクレオパトラはカエサルの別荘に滞在し、ローマの有力者とも面会している。紀元前44年3月、永久独裁官となっていたカエサルが、共和政支持者によって暗殺される。クレオパトラは後ろ盾を失い、急ぎアレクサンドリアに戻った。カエサルが後継者として指名していたのは大甥のオクタヴィアヌスだった。政治的に不安定な立場になったクレオパトラは紀元前41年、カエサルの元配下の武将、アントニウスに接近し篭絡する。紀元前37年秋、アントニウスとクレオパトラは正式に結婚。アントニウスもエジプトを味方につけてパルティア遠征を成功させ東方の支配やローマの第一人者の立場を確固たるものにしたかったが、逆に敗れてエジプトに逃れることになった。

 アントニウスは最大の政敵あるオクタヴィアヌスの姉、オクタヴィアと結婚していたが、クレオパトラにたきつけられる形で離婚した。ローマ市民からの人気が高かったオクタヴィアと離婚し、エジプトに染まっていくアントニウスは、ローマでの人気を失っていった。オクタヴィアヌスも政争に勝つためにプロパガンダとして、アントニウスへの攻撃材料として最大限に利用し、クレオパトラはローマの敵として仕立て上げられていく。クレオパトラもカエサルの後継者は自らの子であるカエサリオンであり、アントニウスはその保護者であると宣伝した。

 紀元前32年、オクタヴィアヌスはクレオパトラに宣戦布告し、ローマとエジプトの戦争が始まる。ローマ軍はアンブラキア湾を封鎖し、アントニウスの軍の動きを封じ、補給を遮断しようと試みた。翌紀元前31年9月2日。アクティウム岬沖でローマ軍とアントニウス軍、エジプト軍の合わせて500隻以上が集結した海戦が起こった。戦いの最中、クレオパトラの艦隊が突如戦線を離脱する。クレオパトラに裏切られたと思ったアントニウスも戦線を離脱。残されたアントニウス軍は総崩れとなった。この戦いの敗北によってエジプトに味方していた東方の王たちも離反していった。首都アレクサンドリアにローマ軍が迫る中、オクタヴィアヌスと外交交渉をしようとしたクレオパトラだったが、交渉は難航する。アントニウスは残存戦力を集めてオクタヴィアヌスに最後の戦いを挑むが、敗走する。

 紀元前30年8月1日。アントニウスはクレオパトラが自害したと聞かされ、後を追って自刃した。しかし、クレオパトラの死は誤報で、瀕死のアントニウスはクレオパトラの下に運ばれ、その腕の中で息絶えたという。クレオパトラはローマ軍の捕虜となり、アントニウスの弔いを済ませた後の8月29日。オクタヴィアヌスに屈することを拒んで自害した。息子のカエサリオンは捕らえられ処刑されたが、クレオパトラとアントニウスの3人の子供はオクタヴィアによって育てられた。



【ストーリー】


 エジプトに一人の男がやってくるところから物語は始まる。ローマ帝国屈指の名将シーザー(カエサル)将軍。エジプトの王が死んだので、その負債を回収するために兵を率いて訪れたのだった。クレオパトラは共同統治者の弟、プトレマイオス13世によって女王の座を追われ、返り咲きを狙っていた。クレオパトラは貢物の絨毯の中にその身を潜ませシーザーに接近する。その機知と大胆さ、そして美しさに魅了されたシーザーは彼女の後ろ盾となる。しかし、それによって弟との戦いは避けられないようになった。

 プトレマイオス13世は金の鎧をまとい、勇敢に戦ったが、その戦いの中で川に落ち、鎧の重さに浮かび上がることができずに溺死する。弟との弟との戦いに勝利したクレオパトラは王座を奪い返した。各国に勇名を轟かせたシーザーも、クレオパトラを愛するようになる。しかし、ローマで反シーザーの動きが活発になり、その収拾のためにシーザーはローマに戻らなければならなくなった。シーザーを追ってローマにやってきたクレオパトラを待っていたのは、ローマ市民からの蔑みの視線とシーザーの死であった。シーザーの死後。配下の武将であったアントニウスと後継者として指名された甥のオクタピアヌスが対立した。その対立は否応なくエジプトをも揺るがし、エジプトを守るためクレオパトラが選んだ道は……。



【感想】


 TVムービーではあるが壮大なスケールの物語や豪華な衣装など、侮れないと感じた作品。クレオパトラは古代エジプトの女王だが、プトレマイオス朝がギリシア系の王朝ということもあり、絵画では褐色の肌で描かれることもあれば白人として描かれることもある。1963年の「クレオパトラ」では白人のエリザベス・テイラーが演じた様な美しいクレオパトラも良いが、今作のレオノア・ヴァレラが演じたエキゾチックな魅力にあふれたクレオパトラもすごく良いと感じる。

 レオノア・ヴァレラのキャリア初期の作品だが、エジプトを愛し自身の幸せも放棄しなかった崇高な女性をしっかりと演じていると感じた。エジプトの豊かさ、己の才覚や女性としての武器――ローマに対抗するために全てを費やし、エジプトのために戦う女王の姿は、フランク・ロッダム監督がこれまでにないクレオパトラ像と豪語するだけのものになっている。