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グレート・ウォーリアーズ(2000年)





DATE

VERCINGETORIX:DRUIDS/フランス
監督 : ジャック・ドルフマン

<主なキャスト>

ウェルキンゲトリクス : クリストファー・ランバート
シーザー : クラウス・マリア・ブランダウアー
大司祭 : マックス・フォン・シドー
エポナ : イネス・サストーレ
             ……etc

目次
『グレート・ウォーリアーズ(2000年)』の作品解説
キーワード『ウェルキンゲトリクス(紀元前72年〜紀元前46年)』
『グレート・ウォーリアーズ(2000年)』のストーリー
『グレート・ウォーリアーズ(2000年)』の感想


【作品解説】

 フランス最初の英雄とも称されるウェルキンゲトリクス(紀元前72年〜紀元前46年)を描いた壮大な歴史映画。古代ローマの名将ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー(英語読み):紀元前100年〜紀元前44年)によるガリア(現在のフランス、ベルギー、スイスなど)遠征を、カエサル自身の手で書き残したガリア戦記を、ガリア側から描いた作品。政府の協力の下、1万5千のブルガリア軍が撮影に参加したという力の入った作品だったようだが、興行面でも映画的な評価の面でも低調なものに終わった。


【ウェルキンゲトリクス(紀元前72年〜紀元前46年)】

 古代ローマ――共和政ローマが終わり、帝政ローマへと移行しようとしていた時代。クラッスス、ボンペイウスという大物政治家とともに第一回三頭政治に加わり、ローマの最高権力者に登りつめようとしていたユリウス・カエサルは、自らの権力基盤をより確固としたものにするためにガリア平定に乗り出した。しかし、ガリアの諸部族の抵抗は激しく、紀元前58年から紀元前51年の7年を費やさなければならなかった。その中でも、紀元前52年のアルウェルニ族の指導者、ウェルキンゲトリクスを中心とする全ガリアの蜂起に、カエサルは大いに苦しめられた。

 アルウェルニ族の長であったウェルキンゲトリクスの父は、乱立する諸部族をまとめ上げてガリアの王になろうとしたという嫌疑をかけられて殺害されたという。紀元前58年にガリア戦争が始まった頃、ガリアでは支配域を拡大していたゲルマニア人の指導者によってガリア人の部族が追いやられつつあった。紀元前59年まで執政官(コンスル)の任にあったユリウス・カエサルは前執政官(プロコンスル)として、イリュリア、ガリア・キサルピナ(アルプス以南のガリア)、ガリア・トランサルピナ(アルプス以北のガリア)の属州総督となった。特にガリア・トランサルピナはローマの支配が及んでおらず、ローマの元老院からカエサルに5年間の軍事指揮権(インペリウム)が委ねられた。

 ゲルマニア人の勢力を相手に勝利しレヌス川(現在のライン川)の向こうへと追いやったカエサル率いるローマ軍ではあったが、その後はガリア人の諸部族との泥沼の戦いが待っていた。そんな戦いの最中、ウェルキンゲトリクスは20歳前後でアルウェルニ族の族長となった。紀元前52年頃、統率の取れていなかったガリア人の諸部族は、対ローマで結集すべく密談を重ねウェルキンゲトリクスをガリア人諸部族の軍事指導者として委ねることとした。その頃、ローマでは三頭政治の一角であったクラッスス父子が戦死。カエサルとポンペイウスをつなげていたカエサルの娘でポンペイウスの妻のユリアの死もあり、三頭政治は崩壊した。反カエサル派の暗躍などもあり、政争に追われることとなったカエサルはガリア結集の動きへの対応は後手後手に回ることになった。

 ウェルキンゲトリクスはローマ軍に決戦を挑んでは不利になると考え、持久戦を挑む方針とし、ガリア各地でゲリラ戦を展開して兵站路を寸断した。ローマ軍がガリアで食料などの物資や施設を手に入れられなくするために焦土作戦を実行するなど、ローマ軍を大いに苦しめた。しかし、ローマ軍がビドゥリゲス族の城市であるアウァリクム(現在のブールジュ)に迫った際、物資の徴発を避けるために周囲の町を焼き払ったものの、天然の要害であるアウァリクムを攻略することは出来ないとの意見を受け入れ焦土作戦の対象から外した。ローマ軍に包囲されたアウァリクムの町の外15マイルほどの位置に野営したウェルキンゲトリクスの軍は、ローマ軍の徴発を阻害してローマ軍の食料を窮乏させた。最終的にローマ軍は勝利し、なだれ込んだローマ軍は25日の飢餓と包囲戦の労苦の報復として約4万人の市民の内800人しか生存者がいなかったと言われるほどの虐殺を展開した。

 アルウェルニ族の主要城市ゲルゴウィア(現在のクレルモン=フェラン近郊)へと迫ったカエサルだったが、ガリアではウェルキンゲトリクスの蜂起に合わせてローマに服従していた部族の中でも、反ローマに転じる部族も多く、カエサルは対応に追われることとなった。ゲルゴウィアを包囲し、ウェルキンゲトリクスに対して兵糧攻めを仕掛けたカエサルだったが、反ローマの動きがガリア全土に広がる中、ゲルゴウィアからウェルキンゲトリクスを引きずりださなければ勝利はないと考えるようになった。しかし、ウェルキンゲトリクスもそのことは十分理解していたため、ゲルゴウィアの防御に全力を注ぎ、カエサルは甚大な被害を出して撤退するしかなかった。ゲルゴヴィアの戦いはカエサルの数少ない敗戦として知られるが、その撤退の中でゲルマン人騎兵を雇い入れることができ、追撃してきたガリア人の連合軍を迎撃し、これに勝利した。敗れたウェルキンゲトリクスはマンドゥビイ族の都市アレシアへ逃げ込んだ。

 アレシア包囲戦は、古代ローマの包囲戦の中でも最大規模の戦いとして記録されている。アレシアがあった正確な場所は分かっていないそうだが、現在のディジョンに近い地域であったとされている。2本の川に挟まれた丘の上に作られたアレシアは要害の都市であった。包囲するローマ軍は正規軍12個軍団にゲルマン人の騎兵やヌミディア人の軽装歩兵など総勢6万人であったという。包囲されているアレシアにはウェルキンゲトリクスの指揮下の軍勢8万人に元からいたアレシアの住民も大勢いた。その分兵糧の消耗も激しいとみたカエサルは危険を伴う強襲を避けて包囲線を築くことを決める。アレシアを取り囲む総延長18キロメートル、高さ4メートルの土塁や多くの見張り台をはじめ、二重の包囲線が敷かれた。

 包囲されたアレシアからは包囲線建設を阻止するための攻撃がなされたが、ローマ軍はこれを撃退し6週間で包囲線を完成させたという。ウェルキンゲトリクスは外部の同盟部族に包囲しているローマ軍を外から攻撃するように要請をだした。長期戦を覚悟したウェルキンゲトリクスは口減らしのために元々アレシアにいたマンドゥビイ族の住人を放逐した。マンドゥビイ族の住人はローマ軍に奴隷になるから食料を分けて助けてほしいと懇願したが、カエサルはこの要求を一顧だにしなかった。その後彼らがどうなったのかは記されていない。8月に始まった包囲戦は9月の終わり頃を迎え、ローマ軍もアレシアのガリア人の軍も食料の窮乏に悩まされていた。幾度かに及ぶアレシアからの包囲網突破の試みもことごとく失敗に終わる。10月2日。最後の包囲網突破に失敗したウェルキンゲトリクスは敗北の運命を悟り、将兵を集めて最後の選択を彼らに委ねた。ガリア人はウェルキンゲトリクスをローマ軍に引き渡すことを決めた。族長たちを引き連れ、ローマ軍の包囲戦の前に進みでたウェルキンゲトリクスは族長たちの武器を集め、自らの武器とともに差出し、降伏の意思を示した。その後、ウェルキンゲトリクスは6年間の投獄の末、処刑された。


【ストーリー】

 幼いウェルキンゲトリクスの目前で父親が殺される。ウェルキンゲトリクスの父親は、ガリアに圧力をかけてくるローマを跳ね返すために、ガリアで乱立する部族の長たちの中から王を選び、その下で結束すべきと考えていた。しかし、彼の呼びかけに、新ローマの部族や同じ部族の抵抗勢力に謀られ、捕らわれて殺されてしまう。ウェルキンゲトリクスは支援者に匿われ、雌伏の時を過ごしながらガリアの王になるという夢を胸にたくましく成長した。父親を殺した張本人を自らの手で殺し、見事仇を討った。

 その過程でカエサルと出会う。カエサルに好感をもったウェルキンゲトリクスと、ウェルキンゲトリクスに並々ならないものを感じたカエサル。両者はガリアの安定のために力を合わせられるかに思えたが、カエサルがガリアの諸部族団結を阻止するために策を巡らせ、かつてウェルキンゲトリクスの父親が殺された件にも関わっていたことを知り、カエサルに反旗を翻す。

 初戦はウェルキンゲトリクス優勢に事が進み、ウェルキンゲトリクスの旗の下に集まってきた諸部族によりウェルキンゲトリクスは指導者として王にも等しい立場になる。カエサルの力を知るウェルキンゲトリクスは、ローマ軍の補給を発つための焦土作戦を実行に移す。焦土作戦は民衆のために、民衆の土地を焼き払う、民衆を苦しめる諸刃の剣。民衆からの懇願を聞き、これ以上続けるべきではないというウェルキンゲトリクスの判断は裏目に出てアウァリクムの町へのローマ軍による蹂躙を許してしまう。

 その後の戦いでローマ軍を撃ち破ったウェルキンゲトリクスだったが、ローマ軍の攻勢によってアレシアの町に追い込まれてしまう。ウェルキンゲトリクスは町の外の部族たちに連絡を取り、救援に駆けつけるが、もともと勢力争いをしている部族たち。総大将も決められないままの出撃であった。ついにカエサル率いるローマ軍とガリアの命運をかけた戦いが目前に迫っていた。


【感想】


 ガリア戦記の映像化ということで興味ある一本だった。面白みに欠ける部分もあるし、時代背景が分からないと置いてけぼりを食らったような気がするかもしれない、とは思ったが、ガリア戦記の中でも、カエサル最大のピンチであるウェルキンゲトリクスの蜂起を丁寧に映像化していると感じた。

『グレート・ウォーリアーズ』の中ではウェルキンゲトリクスの最期は映像の中では描かれずエピローグの中で文章によって語られるだけなのだが、6年の虜囚生活を経て処刑された。敵対した者であっても、軍門に下った後に処刑したりすることのなかったカエサルには珍しい例であるという。それだけウェルキンゲトリクスを恐れたからなのだろう。

 そんなウェルキンゲトリクスでさえガリアの諸部族をまとめ上げることができず、最後は寄せ集めの烏合の衆は戦闘が始まると空中分解してしまい、カエサルに敗北を喫することになる。歴史で”もしも”を言っていたらきりがないのだが、もしもガリアが文化的・政治的にもう少し成熟していたならウェルキンゲトリクスの蜂起はもっと違う方向に進んだのかもしれない、などと思う。