もうひとりのシェイクスピア(2011年)
DATE
ANONYMOUS/イギリス・ドイツ
監督 : ローランド・エメリッヒ
<主なキャスト>
オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア : リス・エヴァンス
エリザベス1世 : ヴァネッサ・レッドグレーヴ
若き日のエリザベス1世 : ジョエリー・リチャードソン
ウィリアム・セシル : デヴィッド・シューリス
サウサンプトン伯ヘンリー・リズリー : ゼイヴィア・サミュエル
ベン・ジョンソン : セバスチャン・アルメストロ
ウィリアム・シェイクスピア : レイフ・スポール
……etc
【作品解説】
日本では2012年12月に劇場公開されたイギリス・ドイツの合作映画。イギリス・ルネッサンス期を代表する劇作家であるウィリアム・シェイクスピアの生涯は史料も少なく謎も多い。その為、シェイクスピア別人説も唱えられ、長らく好き者たちの議論の的になってきた。もっとも、イギリス文学の研究者にとっては検討の価値もない説であるらしく、積極的にこの説を支持している研究者はほとんどいないという。映画『もうひとりのシェイクスピア』では、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(1550年〜1604年)こそが本当のシェイクスピアであるという説を下敷きに、16世紀イングランドの世相と晩年のエリザベス1世を中心にした宮廷内の権力闘争を描いている。
【ウィリアム・シェイクスピア(1564年〜1616年)】
ウィリアム・シェイクスピアは、エリザベス朝時代のイングランドの劇作家、詩人。四大悲劇(『ハムレット(1600年〜1602年ごろ)』『リア王(1604年〜1606年ごろ)』『オセロ(1602年)』『マクベス(1606年ごろ)』)や、『ヴェニスの商人(1594年〜1597年ごろ)』『ロミオとジュリエット(1595年ごろ)』などの悲劇・喜劇、『リチャード3世(1591年初演)』などのような伝記的側面を持った作品など36の戯曲を世に残し、今なお根強い人気を残すイングランドの歴史上最も偉大な作家の一人である。シェイクスピア作品は映画の時代になると幾度の映画化されたが、近年製作されている映像作品では、現代的な解釈を加え、過去の作品とは全く印象の違う名作が生まれていると感じる。
シェイクスピアは1564年にイングランド中部の田舎町のストラトフォードで生まれた。父は皮手袋の職人として成功をおさめ、母はジェントルマンの娘で、裕福な家庭環境で育つことができたという。シェイクスピアは、地元のグラマースクールで学んだであろうと推測されているが、確たる学歴については分かっていないという。18歳のとき、26歳のアン・ハサウェイという女性と結婚しました。この時アンは妊娠3ヶ月だったという。
シェイクスピアは1585年には長男ハムネットと、次女ジュディスの双子を授かったが、劇作家としてロンドンで名をあげるまでの期間のことはほとんど資料が残っていないとされ、「失われた年月」などと呼ばれる。1592年ごろには俳優として活動する傍ら、作家としても活動をしていた。すでにその才能を発揮し、同業者から中傷を受けるほどの人気作家となっていた。1603年にエリザベス1世が崩御したのち、新国王のジェームズ1世がシェイクスピアの劇団の庇護者になることを約束するほど、シェイクスピアの劇団は名声を獲得していた。当時の劇団は、大衆劇場内での伝染病の蔓延を恐れて、冬場は閉鎖されていたので夏場はロンドンで公演し、冬場は故郷で家族と過ごしていたという。
1613年に筆を折り帰郷したシェイクスピアは、これまでの名声で得た資産で悠々自適の生活を送っていたが1616年の誕生日に、世を去ったとされる。ニシンからの感染症だったとも言われている。その7年後の1623年、同僚のジョン・ヘミングスとヘンリー・コンデルによって36の戯曲が集められ、最初の全集が刊行された。
【ストーリー】
17世紀――ジェームズ1世が統治するイングランド。劇作家のベン・ジョンソンという男が官吏たちに追われていた。彼は、ある人物から受け取った戯曲の譜面を持って逃げ回っているのだった。劇場の地下に譜面を隠したベン・ジョンソンだったが、官吏たちに捕えられ、拷問にかけられる。そんな彼の前に現れた一人の男。それは、今宮廷で権力を欲しいままにしていた宰相ロバート・セシルだった。ベンは、オックスフォード伯エドワードと出会った日のことを思い出す。
16世紀が終わりに近づいていたこと。40年以上続いた女王エリザベス1世の時代も、女王が老年を迎えて終わりに近付いていた。この頃、女王の側近であるウィリアム・セシルが権勢をふるっていた。ウィリアムはロバートの父である。政権を批判したとベンは捕らえられていた。その芝居を見ていたエドワードによって、ベンは窮地を救われた。エドワードに引き合わされたベンは、エドワードから自分が書いた小説や戯曲を、ベンの名前で発表してほしいと頼まれる。この時代、演劇など、貴族の嗜みではないと低く扱われていたからだ。
エドワードが書いた戯曲は人気になるが、ウィリアム・シェイクスピアという役者が勝手に作者として挨拶してしまい、作家として名声を浴びることになってしまう。エドワードはそのことに戸惑うが、エドワードはウィリアム・シェイクスピアに作家の振りをさせることにする。譜面を運ぶ役になったベンは、読み書きすらろくにできないウィリアム・シェイクスピアが作家としての名声を獲得していくことに反発し、両者は仲違いする。ウィリアム・シェイクスピアは、エドワードが本当の作者であることを知り、金を強請るようになる。
そのころ、ウィリアムとロバートのセシル父子は、後継者がいないエリザベス1世の次の王位を、スコットランド王ジェームズを迎える準備をしていた。しかし、エリザベスの――テューダー朝の血を絶やすべきではないという意見も当然あった。その急先鋒はエリザベス1世の寵愛を受ける若きエセックス伯ロバート・デヴァルーである。彼はエリザベス1世の隠し子とも言われていた。エセックス伯の親友であるサウサンプトン伯ヘンリー・リズリーは、エドワードはサウサンプトン伯の後見であり年齢の離れた友人であった。エドワードはサウサンプトン伯に対して重大な秘密を抱えていた。同時に、エリザベス1世との間にも、他者には知られてはいけない過去があった。セシル父子とエセックス伯の対立はエドワードを否応なく巻き込んでいく。戯曲を通じてセシル父子を糾弾し、エセックス伯を援護しようとするが、ベンとウィリアム・シェイクスピアとの対立がその目論みを崩壊させてしまう。
【感想】
ローランド・エメリッヒ監督といえばアクションやSF色の強い作品ばかり撮っている印象が強かったのだが、監督らしい大味さは感じるものの、平民出身の宰相ウィリアム・セシル、ロバート・セシル親子と、貴族たちの対立構図。処女王と言われながら実際には華麗な男性遍歴を誇っていたエリザベス1世の後継者問題などを上手く絡めながら、イングランドを舞台にした重厚な時代劇という感じの映画に仕上がっていると感じる。
クライマックスのエセックス伯の蜂起に際し、エドワードが「言葉が人を動かす力」を声高に叫ぶ場面が印象的。だが、それ以外の場面においては言葉――詩や小説を、ただの現実逃避の手段に用いているような気がして、彼には感情移入がしにくかった。