ヴェニスの商人(2004年)
DATE
The Merchant of Venice/アメリカ,イタリア,ルクセンブルグ,イギリス
監督 ・脚本 : マイケル・ラドフォード
原作 : ウィリアム シェイクスピア『
ヴェニスの商人』(中野好夫(訳))
<主なキャスト>
シャイロック : アル・パチーノ
アントーニオ : ジェレミー・アイアンズ
バッサーニオ : ジョセフ・ファインズ
ボーシャ : リン・コリンズ
……etc
【作品解説】
日本では2005年10月に劇場公開されたアメリカ、イタリア、ルクセンブルク、イギリス合作の映画。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』の映画化作品。名優アル・パチーノが、現代的な解釈を加えて新たなシャイロック像を作り上げ、当時のユダヤ人差別を前面に押し出した作品となっている。
【ヴェニスの商人】
1594年から1597年の間に書かれたとされるウィリアム・シェイクスピアの喜劇・戯曲。『ベニスの商人』の邦題がつけられることも。明治16年(1883年)刊行された井上勤の翻訳の邦題には『西洋珍説 人肉質入裁判』と付けられている。イタリアの物語を取材して作られ、人肉質入れ物語と箱選びの物語を取り入れて書かれたとされる。
親友のために強欲な高利貸しのシャイロックから大金を借りたアントーニオ。その証文には返済不能な場合は肉1ポンドを渡すという条文が記されていた。それをきっかけに巻き起こる前代未聞の人肉裁判の行方と愛の行方を、ユーモアたっぷりに、ロマンチックに描いた作品。なお、『ヴェニスの商人』の商人はシャイロックのことではなくアントーニオのことであるという。当時のキリスト教徒的には金貸しは商人などではなく唾棄されるような存在であり、当時のロンドン市民の金貸しに対する憎悪のような印象が色濃く反映された作品である。
この作品の陰の主役であるシャイロックは、悪意ある偏見に満ちたステレオタイプなユダヤ人として描かれる。ユダヤ教徒であるシャイロックには、容赦ない軽蔑の言葉が投げつけられ、正当な権利を奪われた挙句、最終的には改宗まで強要される。20世紀以降はユダヤ人差別を煽る作品として非難されることになった。また、劇中の人肉裁判は、法学的な見地からの議論、検証の対象として度々試みられている。
【ストーリー】
時は16世紀。ヨーロッパ中でユダヤ人に対する迫害は激しいものだった。自由都市ヴェニスも、その例外ではなかった。彼らの一部は高利貸しによって莫大な富を築いていた。このことも、キリスト教徒たちからの攻撃の対象になっていた。他人に金を貸し、その代償として莫大な利子を取る事は、神の御心に反するからだ。
ある時、アントーニオの元に、友人のバッサーニオが訪れて、借金の申し込みをする。バッサーニオはポーシャという女性に求婚するため、金が必要だった。しかし、アントーニオも、その財産のほとんどが積荷として海の上にあった。そこで、アントーニオは自分の名前で高利貸しのシャイロックから金を借りるように提案する。シャイロックは金を貸すことには応じるが、その代わり、もしも、借金が返済できない場合はアントーニオの体の肉を、どこでも一ポンド切り取ることを条件にする。そうして、ポーシャへ求婚し、晴れて結婚することができることになったバッサーニオだった。
そのころアントーニオの積荷を載せた船が難破し、アントーニオは財産を失ってしまう。借金が返せなくなったアントーニオに、シャイロックは約束どおり一ポンドの肉……心臓を要求してきた。裁判にも発展したこの事件は、シャイロック有利に進む。友人の危機に駆けつけたバッサーニオだったが、シャイロックの借用書を覆すことはできない。そこに、力強い味方が現れる。
【感想】
アル・パチーノの怪演によって生み出されたシャイロックが一番印象に残る。ユダヤ人への差別意識を隠そうともしない……いや、それが当たり前だったのだろう書かれた当時の世相などが生々しく描かれる。シャイロックがアントーニオを殺そうとした理由は莫大な財産を持ちながら蔑視されてきたことで抱いた、社会に対する屈折した感情であった。そもそも、顔を見たら唾を吐きかけるような相手から金を借りるなよ、と思ってしまうのだが……見下して差別しながら利用するのが当たり前というのは、当時の普通のキリスト教徒の感覚だったのだろう。正直なところ個人的には終始シャイロック寄りで視ていた。
結局、シャイロックはキリスト教徒のポーシャに徹底的にやりこめられ、借金は踏み倒され、自分の命さえ危うくなった挙句、信仰を捨てることまで強要される。昔は悪い金貸しを、機知で痛めつけるという勧善懲悪の話だと思ったが、こんなに残酷な話だったのかとそら寒いものを覚える。アル・バチーノの重厚な演技がその残酷な物語をさらに盛り上げている。そんな中、ポーシャとバッサーニオのラストの指輪の話はほっとする場面だった。現代的な価値観を取り入れながらも、奇をてらったつくりはしていない。シェイクスピア作品の魅力を再確認できる作品だと思う。