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アポカリプト(2006年)





DATE

apocalpto/アメリカ
監督 : メル・ギブソン

<主なキャスト>

ジャガー・パウ : ルディ・ヤングブラッド
セブン : ダリア・ヘルナンデス
ブランテッド : ジョナサン・ブリューワー
ゼロ・ウルフ : フオール・トゥルヒロ
                ……etc

目次
『アポカリプト(2006年)』の作品解説
キーワード『マヤ文明』
『アポカリプト(2006年)』のストーリー
『アポカリプト(2006年)』の感想


【作品解説】

 日本では2007年6月に劇場公開されたメル・ギブソン監督によるアメリカ映画。スペイン人がマヤ文明と接触する直前のユカタン半島を舞台にしたアクション・アドベンチャー。シナリオは全編マヤ語で、出演者も先住民族の血を引く映画主演経験のない無名の若者を起用するなど、独特の雰囲気ながら商業的にはマイナスの要素が多い映画であった。さらに暴力シーンが多いため、アメリカではR-15指定で公開されたり、公開直前にメル・ギブソン監督が飲酒運転と速度超過で逮捕されたりユダヤ人蔑視ともとれる発言をしたと報じられるなど、不利な状況でのスタートになったが、公開初週週末の興行収入は初登場一位を記録した。


【マヤ文明】

 マヤ文明は、中央アメリカのユカタン半島(メキシコ湾とカリブ海との間に突き出ている半島。現在のメキシコ、グアテマラ、ベリーズの3国にまたがっている。)を中心に広域に発展した古代文明である。メソアメリカ文明の一つに数えられる。マヤ文字やマヤ暦など、高度に発達した文明を持っていたことでも知られる。マヤ文明が発達した地域には大規模な河川がなく、大河の流域で発展した他の多くの古代文明とは異なり、セノーテという淡水の泉に育まれたという特徴がある。

 マヤ地域は南部高地、南部低地、北部低地の三つの地域に分かれて発展した。マヤ文明が政治的に統一されたことはなかったと考えられている。各地に数多くの小都市が分立する政治体制となっているが、各都市間に優劣関係がなかったわけではなく、大都市が勢力圏を築いて文明圏を分立していた時期と、小都市国家が並立する時期が存在していたと考えられている。各都市は頻繁に戦争を行っており、それによって勢力圏も頻繁に移り変わっていた。

 マヤ地域では農耕の起源は紀元前2000年にも遡ると考えられている。紀元前1000年を超えた頃、文明が急速に発展し始め、都市に居住が始まった。紀元前400年ごろには都市の大規模化が始まった。やがて文字や暦の使用も始まった。マヤ文字の碑文の解読もすすめられており、3世紀から10世紀ごろの王朝史として把握されている。3世紀から9世紀頃、南部低地を中心に古典期と呼ばれるマヤ文明の最盛期を迎える。巨大な階段式基壇を伴うピラミッド型の大神殿が築かれ、占星による神権政治が栄えた。8世紀頃に最盛期を迎えた古典期マヤ文明だったが、9世紀ごろから急速に衰退していく。原因については諸説あるが、一つの理由に起因するものではなく、複数の原因が複合しての事だったのだろう。

 代わって10世紀ごろ、北部低地を中心とする文明が栄えた。後古典期などと呼ばれる時期であり、ユカタン半島北部を支配する巨大勢力が出現したが、15世紀後半になると巨大勢力は崩壊し、小都市国家が乱立する時期を迎えた。やがて16世紀初めにはスペイン人の侵略者がマヤ文明と接触する。スペイン人の侵略者たちは1527年から征服をはじめ、20年ほどでマヤ地域のほとんどを制圧した。しかし、密林が広がる内陸部では征服が遅れ、マヤ文明の諸国はしばらくの間存続した。しかしそれらも徐々に征服されていき最後のマヤの王国が滅亡したのは1697年のことだった。


【ストーリー】

 16世紀のユカタン半島。森にすむ小さな部族の若者、ジャガー・パウは身重の妻と幼い息子と一緒に暮らしている。狩猟をしながら暮らすジャガー・パウたちの部族は、凶暴な戦士たちの集団に襲われる。敵の目を逃れて妻と子を縦穴の中に隠したジャガー・パウだったが、生き残った仲間とともに捕虜にされ、連れていかれる。

 ジャガー・パウが連れてこられたのは森の向こうのマヤの王国だった。最近、天候不順による不作が続いていたため、ジャガー・パウたちは神への生贄とされるために捕らえられたのだった。捕虜たちは巨大なピラミッドに連れていかれ、次々に生贄として殺されていく。しかし、ジャガー・パウの番が回ってきた時、皆既日食が起こり、太陽が姿を消した。神官は、願いは聞き届けられたと儀式の終わりを告げ、ジャガー・パウはひとまず助かる。

 しかし、捕虜たちを次に待ち受けていたのはマヤの王国の戦士たちの訓練の的として殺される運命であった。仲間たちが次々と殺される中、ジャガー・パウは隙を見て逃走する。森の中に逃げ込んだジャガー・パウは、マヤの戦士の一団の追撃をかわしながら、故郷へ――妻子の元へ駆ける。おり悪く、森に雨が降り始める。女子供の力では到底上ることのできない縦穴の中には雨水が流れ込み水位が増していく。


【感想】

 マヤ文明が西洋人によって滅ぼされる直前の時代を舞台にしたアクション作品。「マヤ文明の衰退を描く作品」と当時は宣伝されていたが、物語の後半のほとんどがジャガー・パウの逃走劇に費やされている。その逃走劇の中で描かれるのはジャガー・パウの力強い躍動感と生きようとする意志。演者は全くの無名の若者だが、その目力がスゴイ。一つの文明の終わりの時代を描いているが、描きたかったのは、そんな時代であっても生きようとする意志こそが意味を持つ……己を救うというということだろうか。

 劇中におけるマヤの王国の――王国の描写には批判もあったそうだが――戦争捕虜などを神への生贄として捧げる神聖儀式は現実に存在していたと考えられ、王国の衰亡の原因の一つであったとも言われる。現代で感覚では残酷としか思えないが、実行した側からすれば全ては王国を守るため為、全ては王国の国民を救う為である。だが同時に、困った時の神頼みは他力本願でもある。物語の終盤、マヤの王国の戦士たちは西洋人たちの帆船と出会い、神だと考え跪く。そんな戦士たちを一瞥したジャガー・パウは妻子を連れて森のさらなる奥へ消えていく。劇中では描かれないが神を招き入れて滅びの道を辿るマヤの王国と、自らの力で生きていくことを決めたジャガー・パウ。最後に勝つのは自らの力を信じ抜ける者だ――そう言っているようにも感じた。