ブーリン家の姉妹(2008年)
DATE
The Other Boleyn Girl/アメリカ・イギリス
監督 : ジャスティン・チャドウィック
原作 : フィリッパ・グレゴリー『
ブーリン家の姉妹』( 加藤洋子(翻訳),集英社文庫)
<主なキャスト>
アン・ブーリン : ナタリー・ポートマン
メアリー・ブーリン : スカーレット・ヨハンソン
ヘンリー8世 : エリック・バナ
トーマス・ハワード : デヴィッド・モリッシー
レディ・エリザベス・ブーリン : クリスティン・スコット・トーマス
トーマス・ブーリン : マーク・ライランス
ジョージ・ブーリン : ジム・スタージェス
ウィリアム・ケアリー : ベネディクト・カンバーバッチ
ヘンリー・パーシー : オリヴァー・コールマン
キャサリン・オブ・アラゴン : アナ・トレント
ウィリアム・スタフォード : エディ・レッドメイン
ジェーン・パーカー : ジュノー・テンプル
……etc
【作品解説】
日本では2008年10月に劇場公開されたアメリカ・イギリスの合作映画。フィリッパ・グレゴリーの同名小説が原作。この小説は2003年にもBBCでテレビドラマ版が制作されている。16世紀イギリスでヘンリー8世とアン・ブーリン、その妹のメアリー・ブーリン(史実では姉とも言われる)との関係を描いた歴史劇。
【アン・ブーリン(1501年頃〜1536年)】
15世紀、イングランドでは大陸での百年戦争(1337年〜1453年)、その戦後処理を巡るばら戦争(1455年〜1485年)とよばれる内戦によって大きく疲弊していた。1485年、ばら戦争の勝者となったヘンリー・テューダーがヘンリー7世として国王に即位。イングランドはテューダー朝(1485年〜1603年)が始まった。テューダー朝は、ヘンリー7世に始まりヘンリー8世、エドワード6世、メアリ1世、エリザベス1世と続いた。その間に絶対王政が推進され、再び海外へと進出していく。先に挙げたテューダー朝の君主のうち、最も有名なのはエリザベス1世(1533年〜1603年)であろう。アン・ブーリンはエリザベス1世の母として知られる。そのアンとヘンリー8世の婚姻を巡る騒動や、アンに対する処遇などは後のイングランドの歴史にも大きな影響を与えると同時に、カリスマある君主と言われるヘンリー8世の人物評価に影を落とすことになった。
ブーリン家は曾祖父の頃までは地方の平民でしかなかったという。曽祖父は上京して財を成し、ロンドン市長まで上り詰めた。その息子の代でサーの称号を与えられて貴族となった。その後、有力貴族と婚姻を結ぶなどして爵位や領地を増やしていた。アン・ブーリンの父であるトマス・ブーリンは語学に優れてた外交官であり、アンも語学が堪能であったという。1526年頃にヘンリー8世の王妃であるキャサリン・オブ・アラゴン(1487年〜1536年)の侍女となる。キャサリンは神聖ローマ帝国皇帝カール5世にしてスペイン国王カルロス1世の叔母である。当時、世界最大の権力者といっても過言ではなかったスペインとイングランドの友好のための結婚であり、もともとはヘンリー8世の兄アーサーの妻であったが、アーサーの早逝を受けてヘンリー8世が娶ったという経緯があった。ヘンリー8世とキャサリン妃の間にはメアリーという女子が生まれていたが、ヘンリー8世は男子の王位継承権者を欲していた。
ヘンリー8世がアンと巡り合ったのは、キャサリン妃が年齢的に子供を授かるのが難しくなり、新王妃を迎えることを考え始めた頃であった。愛人の立場に満足しなかったアンがヘンリー8世に正式な婚姻を迫ったとも言われる。この頃、キリスト教ローマ教会では1517年のルターによる『95ヶ条の論題』などをきっかけに宗教改革の運動が勃発していた。ここではこれまでのローマ教会の信仰を旧教、宗教改革運動の中で生まれた信仰を新教という呼び方をする。旧教では離婚は認められていなかった。抜け道として婚姻そのものが最初から無効であったとローマ教皇から宣言をしてもらうという方法があった。しかし、この頃、イタリアを巡って神聖ローマ帝国とフランス王国の衝突が度々起こっていた。神聖ローマ帝国軍によるローマ掠奪が起こったのは1527年のことである。そんな情勢下で、ローマ教皇に神聖ローマ帝国皇帝の叔母であるキャサリン妃の離婚を認めるはずはなかった。逆にヘンリー8世がローマ教皇に召喚されそうになり、イングランドにローマ教会への反感の雰囲気が広がった。ヘンリー8世はそれを逆手にとって議会を招集し、反ローマ教会の立法を次々成立させる。1529年末から1536年春まで続くこの議会は「宗教改革議会」などと呼ばれる。
1533年の初め、アンに妊娠の兆候が見え始めた。アンの産む子どもを王位継承権者にするために、ヘンリー8世はキャサリン妃と正式に離婚し、アンと結婚することを急ぐ。1533年春に「上告禁止法」が制定される。これはイングランドが超国家的権威や外国勢力に支配されない
「主権を持つ国家」であると規定するものだった。1533年5月、ヘンリー8世はキャサリン妃との婚姻の無効、アンとの結婚の合法性を宣言する。新王妃となったアンは1533年9月にグリニッジ王宮で王女エリザベスを出産する。王子が生まれなかったとはいえ、まだ若いアンには王子を生む可能性がありすぐにヘンリー8世の寵愛を失うことはく、エリザベスの誕生は盛大に祝福された。1534年に国王至上法などが成立し、ローマ教会と断絶したイングランド国教会が樹立し、国王をイングランド国教会の唯一最高の首長と規定した。この時もたらされたイングランド国内に宗教的な混乱は、後の世にも大きな影を起こすことになる。
大騒ぎの末に誕生したアン王妃だったが、それも長くは続かなかった。アンは贅沢を好み宮廷の改装や個人的な宝石の高級などに国費を浪費した、という。ヘンリー8世の関心も、アンの侍女のジェーン・シーモアに移っていた。1536年1月。前王妃のキャサリンが死去。当時のスペイン及び神聖ローマ帝国の駐英大使は、アンとヘンリー8世が祝宴を開いてダンスを踊っていたと本国に伝えた。同じ頃――同じ日という説もある――アンは待望の男児を流産し、完全にヘンリー8世からの寵愛を失った。1536年5月、アンは国王暗殺の容疑や5人の男と不義密通を行ったとして、反逆罪に問われた。姦通したとされる男のうち1人は実の兄弟だったとされている。アンに対するこれらの容疑はでっち上げだったと言われる。死刑判決を受けたアンはロンドン塔で処刑された。ヘンリー8世とアンの婚姻は最初から無効であったと宣告され、ヘンリー8世は処刑の直後にジェーン・シーモアを新たな王妃として迎えた。
【ストーリー】
時のイングランド国王ヘンリー8世の妻キャサリンが、子供を死産するところから物語は始まる。新興貴族のトマス・ブーリンは、妻の弟のノーフォーク公爵から王が男の子を産むための愛人を探しているという話を聞く。それならば娘のアンを差し出そうと、トマスは提案する。王を自宅に招くことができたブーリン家だったが、思わぬことでアンがヘンリー8世に怪我をさせてしまい、妹のメアリーが介抱した。王はメアリーを気に入り、一家を宮廷に呼び寄せる。しかし、メアリーは既に結婚していた。嫌がるメアリーだったが、王命とあらば従わざるを得ず離婚して宮廷に入ることをしぶしぶ承知しなければならなかった。そんな始まりだったが、やがてメアリーはヘンリー8世に好意を抱くようになり、王の子を身ごもる。その間にアンは既婚者のスキャンダルを起こしフランスへと送られてしまう。
それから2か月。メアリーに対し、嫉妬を超えて憎しみを抱いたアンは、イングランドの宮廷に戻ると、ヘンリー8世にアピールを始める。メアリーは出産に備えて修道院にこもっていた。そしてメアリーの出産の日、ヘンリー8世はメアリーを捨て、アンのもとへ行くのだった。メアリーは失意の中、田舎へと帰る。アンはヘンリー8世に王妃の立場を求め、その為にキャサリン妃と離婚するように求る。ローマ教会は離婚を認めていない。ヘンリー8世はアンとの結婚のためにイングランド国教会を設立し宗教的な孤立を深めていく。そうまでして王妃の座を射止めたアンは、流産してしまいヘンリー8世からの寵愛を失っていく。男児を授かることができずに焦るアンは墓穴を掘って追い詰められていく。
【感想】
権力者の欲望が社会と、女の運命を変えていくというストーリーはオーソドックスながら飽きずに最後まで見られた。強烈なイメージの作品ではないが、格調高い良作に仕上がっていると感じた。とくに、アン役のナタリー・ポードマンの好演が光る。メアリーへの嫉妬から狂気に憑かれたように妹を裏切るアンの姿や、ヘンリー8世の寵愛を取り戻そうとメアリーにすがりつく姿、そしてヘンリー8世によるアンの処刑。場面場面のアンの心理描写がしっかりしていて違和感なく見られた。それにしても、結局悪かったのは誰だろう。自らの出世のために娘を差し出した父とその叔父か、それとも好色で移り気な国王か、勝気で傲慢だったアンか、それとも……。結局は時代のせいと言ってしまえばそれまでかもしれないけれど。